おしゃれなティーカップを口に運んで、「五年のころかな」と雪森くんはいった。

 「なんかおもしろい小説ないかなあって思ってて、ふと、テレビで有名なミステリー映画を観たんだよ、脱線した列車内で事件が起こるやつ」

 「へえ、怖いね。列車が脱線しただけでも十分、映画になりそうなのに」

 「愛する人のもとへ生きて帰れるか——みたいな」

 わたしはうんうんとうなずいた。

 「で、それが海外で作られた映画だったんだよ。ちょうどそのころ、日本でもそれが作られたからって、それでテレビでやったんだと思うけど」

 「へえ、海外で作ったものを、日本でリメイクしたってこと?」

 「そういうことなのかな。あんまり詳しくは知らないんだけど。原作がかなり有名な作品だから、もうあっちこちで映画になるんだろうね。

で、そのときはじめて、小説って海外でも書かれてるんだよなって改めて思って」

 「ああ、そうだよね」

 ——といって、ぱっと名前が出てくるのは、シンシア・ローズ以外にはさっき本屋さんで見たアガサ・クリスティくらいだけれど。

 「それで、やっぱり海外のと日本のとはいろいろ違うだろうなって思って。すぐに海外小説の有名どころを調べたんだけど、出てくるのがロシアとかフランスとかの文豪なの」

 「なんか強そう」

 「そうそう。英語だったらとりあえず、授業でも聞くし、ほんの何作かだったら、字幕で映画を観たこともあるし、なんとなく言葉のリズムとか日本語への訳されかたとかもわかるかなって思って。でもロシア語もフランス語も、俺はまったく知らない。で、イギリスとアメリカに絞って調べたら、アメリカはとんでもない長編作品が出てきたけど、イギリスではコメディっぽい恋愛小説が出てきた。お、これならいいじゃんと思って手を出したのが——」

 雪森くんはぐいっと体を伸ばして、本棚から一冊、文庫本を取り出した。

 「これ」といって、その文庫本をテーブルに置く。

 「ジェイン・オースティン、『高慢と偏見』。かなり有名な作品だそうな」

 わたしはテーブルの上の表紙と、テーブルの向こうの雪森くんの顔を交互に見る。

 「……え、これ読んだの?……高慢ってなに?」

 「三十ページも読まずに挫折した」

 「だよね」

 「でもこんなことでへこたれる俺じゃない」

 「おお……」

 「次に手を出したのが、エミリー・ブロンテ、『嵐が丘』」

 またいかにも難しそうな表紙がテーブルに現れる。

 「これもまたかなり有名な作品らしい」

 「……なんで雪森くん、こんな難しそうなのにばっかり手を出すの?」

 「まずはなんでも形から入ろうと思って」

 「これは読めたの?」

 「五ページ」

 「形ができてないよ」

 「ごもっとも。でもね紺谷、俺の諦めない心をそう小さいものだと思われたら悲しい」

 「うん……」

 「俺はイギリスの古め恋愛小説に挫折したくらいで海外の小説を読むのを諦めたりしない」

 「その熱意はどこから湧き出てるの……?」

 「そこで俺、有名どころを調べるのをやめにした」

 「うん」

 「お店で直接見て、自分の直感を信じることにした」

 「うん」

 「そこで手を出したのが——」

 雪森くんはしばらく本棚の中を探したあと、「これ」といってテーブルに文庫本を置いた。

 「あっ」

 一輪のピンク色の花を持った、きれいな女の人が写った表紙。

 「ジェニファー・オルダス『天使に羽根をさずけて』」

 「雪森くんがロマンス小説に出会った!」

 「伯爵と天使シリーズ第三作目だとか」

 「え……?」

 「一作目も二作目も知らずに三作目に手を出すっていう。どうりで主人公の妹について情報が少ないわけだよ。主人公の妹はシリーズ二作目のヒロイン、ちゃんと追ってる人はわかってるんだから」

 「ああ……」

 「この天使(、、)との出会いと同時に、ロマンス小説っていう言葉を知った。訳者さんの書いたあとがきに出てきたんだ、ロマンス小説って。

で、このあと、シリーズの一作目と二作目を読んで、こういうジャンルのレーベルについて調べて、天下のクラウン社から出た『約束の実りを待ちわびて』でシンシア・ローズに出会った」

 「クラウンって恋愛小説を出してる出版社だったんだ! よく聞くけど、全然知らなかった。王冠なんて、かっこいい名前だね」

 「あ、それ俺も王冠だと思ってたんだけど、道化師って意味みたいだよ、ピエロみたいな」

 「え、クラウンってそういう意味だっけ?」

 「王冠のクラウンとは、つづりが違うみたい。英語ができる人にとっては発音も違うのかもね」

 「ああ、箸と橋みたいな?」

 雪森くんは「うんうん」とうなずいた。

 沈黙をあじわうように、雪森くんはだまりこんだ。そして思い出したように、ふわりとほほえむ。

 「とまあ、こんな感じで、シンシア・ローズに出会ったんだ。究極のハートウォーミング・ノベリストと」