——で、どういうわけか、わたしは雪森くんの部屋の、壁に吊りさげられた観葉植物を眺めている。チェーンで吊られた、ころんとした形の植木鉢に、淡い黄緑色の斑が入ったかわいらしい緑の葉っぱが枝垂れている。
これはうちのリビングにもあったもの。名前はたしか——ポトフ……? あ、違う。ポトスだ。ポトスという観葉植物。
「紺谷って紅茶、好き?」
おだやかな声と一緒に、雪森くんが部屋に入ってきた。
「あ、うん。大好き」
「砂糖とかミルクとか、好きに使って」
雪森くんは腰のあたりで部屋のドアを閉めると、テーブルをはさんでわたしと向かい合って座った。おしゃれなお盆におしゃれなティーセットがのっている。
「雪森くん、植物が好きなの?」
ほんの数秒だったのに、沈黙がそわそわしていってみた。
「部屋に緑があると、いいことがありそうじゃない?」
「いいこと……?」
「部屋が明るくなる。そうすると、明るいできごとも入ってくるような気がする」
「ああ、なんとなくわかるかも」
雪森くんはティーカップにそっと口をつけた。中学生には似合わないような、おしゃれなティーカップ。
わたしも「いただきます」といってカップを口に運んだ。西洋の骨董品のようなティーカップ。
「先生は、なんのためにあんなことさせたんだろうね?」と雪森くんがいった。
「ああ、あの授業? 実はあれじゃない、先生自身が生徒のことを知ろうとしてたんじゃない?」
「この人はこういうの読むんだあ、って?」と雪森くんは笑う。
「本棚を見ればその人の性格がわかる、みたいな?」
「そうそう。その子を知らざればその友を視よ、って」
……なにで知ったんだっけ、この言葉。
「本は友達?」
「そうそう。どんな本を読んでるかで、危険な人とかすぐにわかるから」
「どんな本読んでたら危険なの?」
「えー、っと……——黒魔術、とか?」
「いやいや」と笑う雪森くんに笑い返し、「ところで」といってみる。
「雪森くんがシンシア・ローズを好きになったきっかけってあるの?」
「日本の小説ってなんか湿っぽくない?」
「湿っぽい?」
「内容がさ」
「ああ……」
少なくとも、夜中に読み終えた一冊とはまるで雰囲気が違う。恋愛小説といっても、切なかったり、思いがみのるまでに大きな壁があったり、そういうものが多いかもしれない。
「なにより、日本の小説ってぶすが多いじゃん」
「……そう、かな……?」
そもそも、雪森くんの『美人』と『ぶす』の分類のしかたがわからない。桃原さんも秋野さんも美人にはならなくて、わたしが褒められるだなんて。
ふと、秋野さんの、雪森くんが正しいんだといった声がよみがえる。秋野さんがどうして雪森くんにあんなひどいことをされたのかというのは、雪森くんに直接聞くといいといっていた声。
「いや、もちろんみんな美人の作品もあるよ」と雪森くんはつづけた。
「でもそういうのに限って、結末が報われなかったりするじゃん」
「そうかなあ……」といいながら、ちょっと考えてみる。
「日本の小説だと、ずっとほのぼのした感じのごはんものもあるよ。軽食屋さんとかごはん屋さん、居酒屋さんとか、家庭なんかが舞台なの」
「あれってほのぼのしてる?」と雪森くんはちょっと驚いたようにいう。
「ああいうのって、傷ついたり疲れたりした人が、ふらっと立ち寄った、主人公たちのいるお店でおいしいもの食べて、ああこれからも頑張ろうってなるような話でしょ? ああいうのって、お客さんが傷ついたり疲れたりしたきっかけがつらいっていうか……そのきっかけになったやつに腹が立つじゃん」
わたしは待ってましたとばかりに、「くっくっく」とわざとらしく笑って見せる。
「知らないのだね、雪森くん? 世の中には、なんでそれだけで一冊の本にできるのって思うほど、最初から最後まで平和な作品もあるのだよ。しかもおもしろいらしい!」
「らしい?」
「わたしのおじいちゃんの孫がね——」
「うーん」わたしのふざけたいいかたに、雪森くんはすぐに反応した。「いとこね? いとこだよね?」
「うん」
「ならいとこっていってくれないと。すーごい複雑な家系なのかと思っちゃったから。いとこね、大丈夫ね?」
「そうそう、いとこ」
「おっけおっけ、大丈夫ね」
「で、そのおじいちゃんの孫が——」
「いとこね」
「が、本屋さんで働いてるんだよ」
「歳、離れてるんだ?」
「干支が同じだから、一回り? 十二歳違うのかな」
「へえ、二十五歳くらいだ」
「いや、一歳」
「あっ下なんだ、一回り? え、一歳なにしてんの」
「冗談冗談、六月に二十五歳。それで文芸コーナーを担当してるみたいで、小説に詳しくて。そのいとこによると、ふたり暮らしのきょうだいがただただ平和に過ごす話とか、旦那さんが脚の骨折で入院してる間、ひとりでお店を切り盛りするちょっとドジな奥さんの話とか、ただただのんびりした作品っていうのもいっぱいあるみたい」
「旦那さんの骨折の理由が気になるな……」
「ぜひ、あそこのショッピングモール内の本屋さんで買ってみて」
「紺谷の一歳のいとこにも会えるしね」と意地悪に笑う雪森くんに、「二十五歳!」と笑いかえす。
これはうちのリビングにもあったもの。名前はたしか——ポトフ……? あ、違う。ポトスだ。ポトスという観葉植物。
「紺谷って紅茶、好き?」
おだやかな声と一緒に、雪森くんが部屋に入ってきた。
「あ、うん。大好き」
「砂糖とかミルクとか、好きに使って」
雪森くんは腰のあたりで部屋のドアを閉めると、テーブルをはさんでわたしと向かい合って座った。おしゃれなお盆におしゃれなティーセットがのっている。
「雪森くん、植物が好きなの?」
ほんの数秒だったのに、沈黙がそわそわしていってみた。
「部屋に緑があると、いいことがありそうじゃない?」
「いいこと……?」
「部屋が明るくなる。そうすると、明るいできごとも入ってくるような気がする」
「ああ、なんとなくわかるかも」
雪森くんはティーカップにそっと口をつけた。中学生には似合わないような、おしゃれなティーカップ。
わたしも「いただきます」といってカップを口に運んだ。西洋の骨董品のようなティーカップ。
「先生は、なんのためにあんなことさせたんだろうね?」と雪森くんがいった。
「ああ、あの授業? 実はあれじゃない、先生自身が生徒のことを知ろうとしてたんじゃない?」
「この人はこういうの読むんだあ、って?」と雪森くんは笑う。
「本棚を見ればその人の性格がわかる、みたいな?」
「そうそう。その子を知らざればその友を視よ、って」
……なにで知ったんだっけ、この言葉。
「本は友達?」
「そうそう。どんな本を読んでるかで、危険な人とかすぐにわかるから」
「どんな本読んでたら危険なの?」
「えー、っと……——黒魔術、とか?」
「いやいや」と笑う雪森くんに笑い返し、「ところで」といってみる。
「雪森くんがシンシア・ローズを好きになったきっかけってあるの?」
「日本の小説ってなんか湿っぽくない?」
「湿っぽい?」
「内容がさ」
「ああ……」
少なくとも、夜中に読み終えた一冊とはまるで雰囲気が違う。恋愛小説といっても、切なかったり、思いがみのるまでに大きな壁があったり、そういうものが多いかもしれない。
「なにより、日本の小説ってぶすが多いじゃん」
「……そう、かな……?」
そもそも、雪森くんの『美人』と『ぶす』の分類のしかたがわからない。桃原さんも秋野さんも美人にはならなくて、わたしが褒められるだなんて。
ふと、秋野さんの、雪森くんが正しいんだといった声がよみがえる。秋野さんがどうして雪森くんにあんなひどいことをされたのかというのは、雪森くんに直接聞くといいといっていた声。
「いや、もちろんみんな美人の作品もあるよ」と雪森くんはつづけた。
「でもそういうのに限って、結末が報われなかったりするじゃん」
「そうかなあ……」といいながら、ちょっと考えてみる。
「日本の小説だと、ずっとほのぼのした感じのごはんものもあるよ。軽食屋さんとかごはん屋さん、居酒屋さんとか、家庭なんかが舞台なの」
「あれってほのぼのしてる?」と雪森くんはちょっと驚いたようにいう。
「ああいうのって、傷ついたり疲れたりした人が、ふらっと立ち寄った、主人公たちのいるお店でおいしいもの食べて、ああこれからも頑張ろうってなるような話でしょ? ああいうのって、お客さんが傷ついたり疲れたりしたきっかけがつらいっていうか……そのきっかけになったやつに腹が立つじゃん」
わたしは待ってましたとばかりに、「くっくっく」とわざとらしく笑って見せる。
「知らないのだね、雪森くん? 世の中には、なんでそれだけで一冊の本にできるのって思うほど、最初から最後まで平和な作品もあるのだよ。しかもおもしろいらしい!」
「らしい?」
「わたしのおじいちゃんの孫がね——」
「うーん」わたしのふざけたいいかたに、雪森くんはすぐに反応した。「いとこね? いとこだよね?」
「うん」
「ならいとこっていってくれないと。すーごい複雑な家系なのかと思っちゃったから。いとこね、大丈夫ね?」
「そうそう、いとこ」
「おっけおっけ、大丈夫ね」
「で、そのおじいちゃんの孫が——」
「いとこね」
「が、本屋さんで働いてるんだよ」
「歳、離れてるんだ?」
「干支が同じだから、一回り? 十二歳違うのかな」
「へえ、二十五歳くらいだ」
「いや、一歳」
「あっ下なんだ、一回り? え、一歳なにしてんの」
「冗談冗談、六月に二十五歳。それで文芸コーナーを担当してるみたいで、小説に詳しくて。そのいとこによると、ふたり暮らしのきょうだいがただただ平和に過ごす話とか、旦那さんが脚の骨折で入院してる間、ひとりでお店を切り盛りするちょっとドジな奥さんの話とか、ただただのんびりした作品っていうのもいっぱいあるみたい」
「旦那さんの骨折の理由が気になるな……」
「ぜひ、あそこのショッピングモール内の本屋さんで買ってみて」
「紺谷の一歳のいとこにも会えるしね」と意地悪に笑う雪森くんに、「二十五歳!」と笑いかえす。



