わたしの隣の空席につくと、雪森くんは「『究極のハートウォーミング・ノベリスト』って呼ばれてる人がいてね」といった。

 そして、一冊の文庫本を机に置いた。表紙に写っている女性は茶髪だけれど、目の色はまるで宝石みたいな、青みがかった紫色。顔立ちも日本人とはまるで違う。題名として表紙に載っている文字は『籠に一輪のバラを残して』というもの。

 この本がどんなものなのか、まるでわからない。ハートウォーミング・ノベリストと呼ばれる人がいるというのだから、この本の中身は小説なのだろうけれど。今までに、少なくとも書いた読書感想文の数と同じだけの小説を読んだけれど、その中にひとつもこういった表紙のものはない。

 「シンシア・ローズって作家なんだけど」と雪森くんはいった。

 「海外の人?」

 「そう。書いた作品は長編だけでも百を超えて、そのほとんどが日本でも翻訳されてる」

 「作品が翻訳されるのって珍しいことなの?」

 「海外では有名な作家でも、日本で翻訳されてるものはほんの一作や二作しかないって人もたくさんいる。やっと新しく翻訳されたものがあっても、あんまり人気が出なかったり。これは俺がネットで評価を調べただけだから、あんまり当てにならないけどね。でもほかに新しく翻訳されるものがないところを見ると、ある程度の正確だと思う」

 「ふうん……。厳しいんだね……」

 「そんな中で、シンシアはほとんどの作品が翻訳されてる。そのジャンルに興味を持った人なら、『究極のハートウォーミング・ノベリスト』っていう異名と一緒に、一度は必ず名前を見聞きしたことがあるはずってほどの作家なんだ」

 「どんな小説なの? 籠に一輪のバラを残して、なにかメッセージにするの?」

 バラの花言葉といえば、愛に関するものが多かったはず。それを“籠”に一輪、“残して”いく……。

 あなたの愛は窮屈だった、みたいな、そんな感じなのかな……。

 「主人公のマデリンは、近頃ちょっと物騒な話が流れるとある田舎に暮らす、こさくにん(、、、、、)の娘で——」

 「こさくにん……?」

 「小さいに作るに人。借りた土地で農牧業をやる人だよ」

 「へええ」

 「その小作人の娘のマデリンは、四日前に二十一歳になった。自分はすっかり婚期を逃したものだと思って、恋愛は諦めてた」

 「え、まだ二十一歳でしょ?」

 「ずいぶん昔が舞台なんだ」

 「へえ……」

 二十一歳で恋愛を諦めるほどだなんて、厳しい時代もあったんだな……。

 「マデリンは両親に結婚についてちょくちょく口を出されながら、父さんの仕事を手伝いつつ、このまま仕事に生きようと考えてた。

そんなある日、マデリンの父さんたちが借りていた土地に盗賊が押し入る。前々から周辺の土地をそういった集団が襲ってて、みんなそれぞれ警戒してたところにきたもんだから、みんな応戦した。でも結局、作物は持っていかれるし、戦いで盗賊だけじゃなく、自分たちまで畑を踏み荒らしてしまった」

 「やだ……。なんで盗んでいくの……」

 「作物はすごく貴重な時代だったんだ。作れるような土地も少なかったんだろうね。だから土地を持ってる人はそれを貸して、土地を借りられるお金がある人は、借りた土地を畑とか農場にして、そこで採れたものを売った」

 「大変な時代だね……」

 「で、その荒れた畑を立て直すのにも時間がかかる。普段の生活はぎりぎりで、作物を売らなきゃとても、土地を借りてるお金を払えない。さてどうしたものかというマデリン家族のもとに、金持ちそうな男が現れる。

マデリンよりいくつか歳上に見える彼はジョナスと名乗ると、当然のようにマデリンにプロポーズする」

 「え?」

 雪森くんはわたしの反応に満足したように、楽しそうに笑った。