「ねえ、紺谷」

 ——どくん——。

 怖い。

 この不安は、探していた堕天使なのかもしれない。

 「ねえ紺谷、こっち向いて」

 「やだ……」

 なんで、かばんにつけたお守りのひもが切れてしまっていることなんかに気づいてしまったんだろう。

 なんで、そのひもをすぐに結び直そうだなんて思ってしまったんだろう。

 ホームルームはすっかり終わって、教室にはもう、わたしと雪森くん以外、誰もいない。

 「紺谷」

 「っ……」

 はじめて、雪森くんの声が強いことに気がついた。

 さっき呼ばれたときにも、こんな声だったのかもしれない。

 やっぱり感じ悪かったんだとわかりすぎるほどわかる。

 「ねえ、紺谷」

 ぐっと手首をつかまれた。びくっとして見あげると、雪森くんは席の間の通路にいて、こちらをまっすぐに見つめている。わたしはすぐに、反射的に、目をそらした。

 「紺谷。……ねえ、なんかあったの?」

 「……ごめん……」

 「……俺のこと、嫌い?」

 わたしは首を横に振った。

 「……怖いの……」

 沈黙。アナログ時計の秒針の音がうるさいほどよく聞こえる。

 「怖い?」

 「……わからない、なんで怖いのか、なにが怖いのかわからない……でも今、雪森くんが怖い……雪森くんといるのが、雪森くんと話すのが怖い……」

 するりと、雪森くんの手から手首が離れた。

 「最近、そっけなかったのってそのせい? 俺が怖かった?」

 ああ、違う……。

 やっと冷静になった頭は、早々に後悔をはじめる。

 雪森くんが怖いんじゃない。雪森くんの声を聞くことが怖いんだ。雪森くんのそばにいることが、怖いんだ。

 「違う、……雪森くんが怖いんじゃない……」

 「じゃあ、こっち向いて」

 嘘じゃないんだから。ちゃんと伝えないといけないんだから。

 わたしはゆっくりと、雪森くんと目を合わせた。雪森くんの目はまだ、まっすぐにこちらを向いていた。

 「雪森くんじゃない……。雪森くんが仲よくしてくれることで、みんなに悪くいわれるのが怖い……」

 「……なんでそんなこと怖がるの」

 「だって、わかってるのにもっとわからされるんだよ! 自分がかわいくないことなんてよく知ってる、きれいじゃないことくらいわかってる。なのに、みんなわたしがそんなことも知らないみたいに、雪森くんほどの人がなんであんなのと仲よくしてるのって話す!」

 「……なんで紺谷ほどの美人が、ぶすどもの戯言(たわごと)に左右されてやるの」

 「わたしは、……美人なんかじゃ——」

 「美人だよ」と雪森くんはわたしの言葉をさえぎった。

 「紺谷はきれいでかわいくて、最高の美人だよ。俺がいうんだから間違いない」

 「好みなんて、……人それぞれだよ」

 「いいや違うね。残念だけど、すごい憧れてるけど、俺はかっこいい男じゃない。だからいうけど、俺は間違ってない。少なくとも美人とぶすを見分けることにおいては絶対に正しい。どいつもこいつも、とんでもないぶすをかわいいだのなんだのいってもてはやしてる。

でも俺はそうじゃない。ほんとうの美人にしか興味ないし、ほんとうの美人にしか美人だなんていわない。俺は間違ってないし正直だから。

ねえ紺谷、俺は正しいよ。そして、紺谷は最高の美人だよ。

ぶすどものくだらない言葉に、そんなかわいい耳貸さないでよ。そんな、きれいな耳」

 雪森くんはやさしくほほえむと、そっとわたしの耳のあたりに顔を寄せた。

 「俺の声だけ聞いてよ。ほかの誰のことも考えないで、見ないで、聞かないで……俺のことだけ見て」

 そっと、あたたかい手が肩にのった。

 「紺谷。好きだよ。誰も紺谷を傷つけられない、ふたりだけの小宇宙にいこう」