とある芸能事務所と深い付き合いのある友人がいた。ある日そいつが忙しいってことで、代わりにタレントの送迎を頼まれた。こっちも何度かやっている仕事だった。また一つ頼むと言われたのだ。報酬は悪くなかった。こっちは、それなりの信用があったからだ。余計なことを言わなければ、それだけの金が貰えるってことだ。
 ある場所でタレントを拾い、別の場所へ運ぶ。そういう話だった。某テレビ局の近くから大物芸能人が多く住む地域へ車で送り届け、帰ろうとしたらスマホが鳴った。事が済むまで待て、との指示だった。分かったと返事をする。不満があっても受け入れるのだ。とやかく言わない。どんな仕事でも大切なことなのだろうが、今夜はとりわけそうだった。曇り空に見え隠れする満月を眺めて時間を潰す。
 しばらく経って呼ばれた。敷地内へ入れとのことだ。中へ入るのは初めてだった。オートロックの門扉が開いて、やっと車が入れる。警備員はいない。車を徐行させエントランスの前に横付けする。タレントが出てくるのを待ったが出てこない。スマホに連絡が入る。泥酔して動けないから運んで欲しいとのことだった。やれやれだ。
 玄関の鍵を開けてもらい、住居内に入る。変な匂いがした。足元に大いびきのタレントがいた。立てるかと聞いたが返事がない。肩に担いで無理やり立ち上がらせる。家の主がいたので、どうすればいいかと指示を仰いだ。相手は目をぎらつかせ、こっちを見つめている。苦笑した。こっちには、そういう趣味がない。芸能界にデビューするつもりもない。ついでに言うと、こっちは相手の好みとされるタイプとは程遠い面相をしている。真顔で再び次の指示を伺う。
 タレントのマンションへ運ぶのは駄目だと言われた。マスコミが張り付いているからだ。別の場所へ連れて行くように命じられる。渡された紙に書かれた住所へ行くには少し遠回りしないといけない。そう付け加えられた。幾つかのポイントを通るのだそうだ。詳細を聞くのは止めた。何をどうするのか、それだけ聞けばたくさんだ。
「それじゃ」
「待って」
「何です?」
「これを持って行くと良い」
 お守りを手渡された。返すのも何なので礼を言って受け取る。
「気をつけて」
 写真を撮られるな。その意味だと思ったら、違った。幾つかのポイントとかいうのを越えたら、一気に来た。変な物体、きっと霊魂とか幽霊とかいう連中が、車の外をうようよ歩くのが見えてきたのだ。こっちには、霊感が少しだけある。だから、そういうのが街を普通に歩いていることを知っているのだが、今夜は多すぎた。そういう奴らしかいない街の中に車は入り込んでいたのだ。
 カーナビが目的地到着を告げる。幸いにも周囲に幽霊はいなかった。後部座席のタレントを車から降ろそうと後部ドアを開ける。横倒しになって眠っていたタレントが体を起こした。全然違う人相に代わっていた。いや、人というより野獣の顔だ。こっちに向かって牙を剥く。慌ててドアを閉める。送り届ける予定の建物の入り口横の呼び鈴を鳴らす。インターホンから返事があった。女の声だった。頼まれて人を運んできたのだが、ちょっと困っている、力を貸して欲しいと頼む。玄関から三人の女が出てきた。若い女、中年女、老婆の三人だった。同じような顔をしている。三世代なのか、赤の他人なのか、こっちは分からない。後部座席のアレをどうにかしてもらえたら、それでいい。
 女たちはタレントを大人しくさせることに成功した。車から降りたタレントは四つん這いになって建物へ入って行った。中をちょっとだけ覗いたら、鏡が見えた。風呂の鏡のように湿気で濡れている。こっちの姿は映っていたが、三人の女の姿は見えない。余計な詮索はせず立ち去ることにした。女たちに頭を下げる。向こうも会釈した。建物に入らず、こっちを見送る様子なので、さっさと車を出す。見ないつもりだったがバックミラーを見てしまう。女たちの姿は、やはり見えなかった。
 出るときは普通に出ていいのか、聞くのを忘れた。ポイントを逆戻りしなくていいのかと思ったが、一方通行を逆戻りするのは避けたい。幽霊もイヤだが、それ以上に警官とかかわり合いたくない身の上なのだ。お守りを頼りに、幽霊が闊歩する街を進む。
 大通りに出た。幽霊も見えないが人もいない。人の声を聴きたくなってラジオを付ける。深夜の人生相談だった。こんな時間に珍しい。故郷を離れた者の話だった。急に煙草を吸いたくなった。生憎と切らしている。煙草は諦めるとして、その代わりに喉の渇きを潤そう。自動販売機を見つけたので車を止める。自販機の横に階段があった。何の気なしに階段の下を見る。階段の天井に照明があった。照明の黄色い光に引き寄せられて階段を降りる。階段の下に街があった。人も車もいない車道と夜空に浮かぶ三日月が見える。夜空に浮かぶ満月をさっき見ていた気がするけれど、それについては深く考えないことにした。階段を駆け上がって車へ戻る。ここで飲み物を買うのは止めた。早く帰って寝よう。
 その後もタレントの送迎をする機会があった。あの晩ひどく泥酔していたタレントの送迎も二度か三度やった。最初の時は緊張したけど、次からはそうでもなかった。相手はこっちを覚えていない様子だった。でも、ある時ふとバックミラーを見たら、こっちを変な顔で見ていたから、もしかしたら何か思い出したのかもしれない。それでも、こっちは何も言わない、尋ねない。それなりの報酬を得て生きていくためには、それが大切なのだ。