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その数日後、ある週末の夕方。
街外れのカフェの入り口を、道の反対側からじっと見つめ続ける私。
数十分前に緊張の面持ちで入っていったユウが、心配だった。



今、ユウはあの男の人と話をしている。
改札前でユウを怒鳴ったあの人、「幸せになっていいヤツじゃない」と言い放ったあの人と。



不安そうな、だけど意志の固いユウを送り届けたあと、私はずっと心配でここにいる。
それだけじゃなくて、ユウが彼に「会わなきゃいけない」理由を知りたかったのもあるけれど。





「ありがとうございました、またお越しください」



いつのまにか眺めていた沈みかけの太陽。
不意に店の扉が開く音がして、店員の声が聞こえる。
慌ててそちらに目を向けると、ユウとあの男の人が店先に立っていた。
つまづきそうになりながら、急いで道を渡る。
ユウが無事かどうか、ちゃんと確かめたかった。



『……ユウ?』

「あれ、アミ帰らなかったの」



遠慮がちに名前を呼ぶ、あなたが振り向く。
その表情は梅雨を乗り越えた空のように澄み渡り、だけどどこか切なかった。



「………じゃあ、俺はこれで」



少し居心地が悪そうに、その男の人は浅めの会釈をしてからさっさと立ち去ってしまう。

なんなの、無愛想。

つい昔のように食い掛かりそうになったけれど、ユウが静かにその背中を見送るから、私はどうにか言葉を飲み込んだ。





そしてその夜、私はまたユウの部屋に招かれる。



『あの男の人、誰なの?』

「それ、やっぱり気になってたよね」

『そりゃあそうだよ』



また夜の片隅、並んで座り込んだ私たち。
ユウの指先がもどかしそうに動くから、今夜は私の方から握りしめた。



『………話してくれるの?』

「うん、話す」



その真っ直ぐで真っ新な物言いにも、しっとりと慣れてきた頃。



「………あいつも、彼女のこと好きだったんだ」



やがてユウは懐かしむように、遠い過去の自分を慰めるようにゆっくりと、彼のことを語り始めた。



「あいつとは同じクラスで、俺なんかよりもずっとずっと彼女とお似合いで仲良しだった。だけど俺が彼女と付き合うことになって……俺が選ばれるなんて、俺もあいつも思ってなかった。それからあいつずっと……悔しかったみたい」



ユウが鼻から一息吐く。
聴いてるよ。そんな気持ちを込めて、私はその肩にゆっくり頭を乗せた。



「………彼女が亡くなって、一番取り乱したのはあいつだった。遺書の存在に最初にたどり着いたのもあいつ、俺の名前をそこに見つけたのもあいつ。俺はあいつの大事なものを奪って、壊して、亡くした。卒業の時に言われた。一生許さねえ、って」



私は思わず、その手のひらをぎゅうっと握り直す。
ユウの過去は、いつだって涙色だった。



『………それで、なんで今日会ったの』

「決めたから。自分のこと話すって。アミだけじゃない、周りの人に自分のこと話そう、って」



強く、逞ましいその声色に驚いて見上げる。
あなたは真っ直ぐに、その瑞々しい褐色の瞳を天井に向けていた。



「……俺は彼女がいなくなった時、何を聞かれても否定も肯定もできなかった。何も言えなかった。だから誰にも説明できなかった、俺たちの間に何があったのか」

『………じゃあユウもしんどかったってこと、誰も知らないの、』

「そう、知らなかった。だけど今日、俺はあいつに言えた」

『………それであの人、何て?』



ユウが、不意に瞬きをする。
そのまつ毛の先に光る、一雫。



「………もっと前からそういう話しとけよ、お前が自分のこと話さないから、誰もお前らの苦しさに気がつけなかったじゃねえかよ、って」



ユウの声が、震えていく。



「お前がもっと周りに助けてって言えてたら、あの子は救えたかもしれねえだろ、って、」



そして夜が、更けていく。



ほろりと涙を溢したユウの頬に、私はそっと指先を沿わせる。
ユウもまた私のお腹の辺りを優しく、だけどしっかりと抱き寄せた。

ふたりの呼吸が、ゆっくりと合っていく。
ひとつに溶け切るような、そんな感覚。



『………ユウ頑張ったね、頑張った』

「、ごめんアミ、泣くのは、これで最後。最後にする」

『……別に最後じゃなくたっていいのに』

「、あぁだからさ、そう言ってくれるから俺、」



ユウが、ぐぐっと腕の力を強める。
首筋に埋められた顔、耳元に迫る呼吸。



「………好きなんだよ、アミのこと」



そして、あまりに唐突に伝えられた想い。
短くても、私の思考回路を止めるには充分な言葉たち。



『………もう一回言って』

「…………うん、俺は好きだ。アミのことが」



確かに聴こえる。確かにあなたが言っている。
嬉しくて、胸の奥にじんわりと暖かい気持ちが押し寄せてくる。

まるであの茜空のような、眩しくて包み込むような暖かさ。

その波に押し上げられるかのように溢れた涙。
つい子どものように泣きじゃくる私の頭を、線の細い愛しい手のひらがそっと、優しく撫でていた。