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ユウの言葉を、ユウを信じてみよう。
そう決心した私はある夜、皿を洗う母親のちっぽけな背中に声をかけた。



『あのさ、話がしたいんだけど』



こうやって彼女に向き合うのはいつぶりだろうか。
私の発言によほど驚いたのか、あっという間に振り返った母親。
その瞳に、不安と疑心が蠢いて見えた。



ふたり、台所で向かい合う。



「………何、話って」



よく考えてみれば私は、両親のいざこざを何も知らなかった。
父親と母親はどうして仲が悪くなったのか、一体何がふたりに離婚という決断をさせたのか。
無意識に知ろうとしていなかったのかもしれないけれど、とにかく何も、知らなかった。



『………あんまり話したくないかもしれない。でも私知りたいの、父親との間に何があったのか』

「……今更何を言い出すの。忙しいのよ、私だって」



視線を逸らす母親は、やっぱり私のことを何も考えていないように見える。
だけどここで引き下がるわけにはいかない。

私は知りたい、もう逃げないで向き合いたい。



『お母さん、話して』



押し寄せる抵抗を踏み越えて、彼女を呼ぶ。
その呼び名を聴いて、母親の動きが止まった。



『………私にだって、知る権利あるでしょ。ちゃんと聴かせてほしい、このままでいたくないから』



わかってほしい。私はもう今のままは嫌。
もっと歩み寄りたい。私と、あなたと。
この、現実と。



張り詰めた沈黙の後、やがて母親はぽつぽつと小さな声で話を始めた。





両親はどうやら、かなりスピード婚だったらしい。
父親は元々飽きっぽい性格で、私が小さかった頃まではうまくやれていたのに、徐々に家庭に時間を割かなくなっていった。私は意識していなかったけれど、家に居ない日も少しずつ増えていたと言う。

それでも家族と私を守りたくて、母親は必死に父親と話をしようとした。だけどそれすらも面倒がられ、喧嘩が増え始める。
父親の方も、やがて母親をうざったく思い始めたのだろう。



そしてそのうち発覚した、父親の不倫。
彼女はそれでついに別れる決心をし、私を連れて家を出たのだと言う。




「………私は家族のことが好きだった。だからどうしても守りたくて最善を尽くしてきたつもりよ。愛珠とふたりで一緒に新しい環境に移ることが、1番だって思ったの」



話をしながら、どんどん震えていくその声。
潤む瞳に、たくさんの苦労が滲み出る。



「だけど、私はあの人のことが好きだったから…なかなか前を向けないままで、うまくいかないことばかりで、」



ついに一筋の涙が、彼女の頬を伝う。
それが大きな波紋となり、私の心を震わせた。



母親は、孤独だった。
私と同じように孤独だった。なのに私は、それに1ミリも気がつかなかった。

彼女もまた、闘っていた。
唐突に崩れ去った現実の欠片を背負い、必死に家を守ろうとしていた。



『………ごめんお母さん、私何も知らなくて、』



どちらからともなく近づいた私たちは、同じ息苦しさを抱えていた。
そっと握り締めたその手のひらが、温もりを忘れたかのように、冷たかった。



「……あなたにもたくさん苦労させて、ごめんなさい、」



お互いに震えた声。
押しつぶされそうだったのは、行き場のない気持ちを持ち続けていたのは、私だけじゃなかった。



涙で視界を歪ませながら、気がつく。
自分のことしか考えていなかったのはきっと、私の方だった。