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ある暖かい金曜日。
その日もユウは階段の最上段で私を待っていた。



『ただいま……って、え?』



最後の踊り場を曲がると同時に、声をかける。
だけど、視界に入ったその日のユウは壁にぐったりと身を預け、かなり体調が悪そうに見えた。



『ユウ…?大丈夫?』



慌てて近付く、返事はない。
心臓をバクバクさせながら、数段下からその顔を覗き込む。
すると見えたのは、しっかり閉じられた瞼。耳を澄ますと、規則正しい寝息も聴こえてくる。



『………え、寝てんの?』



小さく上下する肩、やっぱり返事はない。
続く沈黙に、やっと状況が飲み込めた。


春の陽気の中、ユウはそのいつもの場所で居眠りをしていた。



どっと全身から力が抜け、思わずそのとなりにヘタリと崩れ落ちる。
あーあ、びっくりした。どっか悪いのかと思った。
小さくため息を吐いて、もう一度眠っているユウを見つめ直す。
薄っぺらい胸板、初めて会った時よりも痩せて見える顎のライン、意外と長いまつ毛。

じわりと滲み出た、あなたへの好意。



その時、なぜか唐突に、その唇に触れたくなった。



となりから覗き込んだユウの顔。
わずかに開いた唇は見るからに柔らかそうで、胸の奥がきゅっと痛む。
自分でも自分の行動が理解できない。だけど私はそっと。

そっとあなたに、キスをしようとした。



近付いて近付いて、あと数センチで触れる。
そう思った、瞬間。



「…………ん、アミ?」



ゆっくりと目を開いたユウ。私の身体が凍りつく。
かすれ声で私を呼ぶ、切ない距離で視線が絡まり合う。



「…………ねえ、何、してるの」



その時発されたユウの声は、今までのどの瞬間よりも低かった。

冷たさすら感じる落ち着きすぎたトーン。
なんにもしてない、なんて嘘もつけないほどに、明らかな至近距離。



『…………いや、その、まつ毛になんかついてた、から』

「………そっか」



ユウが私から逃れるように座り直す。逸らされた視線が行き場を失って彷徨う。
ふたりきりの空間が、こんなにも居心地が悪い。
身体をグッと引いたユウのせいで、物理的にも距離が空いた。


風が吹き抜ける。
あなたの香りが、鼻をくすぐる。



いつからだったのかもうわからない。
だけど私は、あなたに恋をしてしまっていた。