──騒がしくも穏やかな時が流れる公爵家の、ある日の昼下がり。

 ラウリは公爵邸の庭でシルヴィアとピクニックを楽しみながら、おもむろに居住まいを正して言う。

「お嬢様、俺はですね。子供とかそんなに好きじゃあなかったんですよ」

 レジャーシートの上でちんまりとした両脚を伸ばし、小さく切ったサンドイッチを頬張るシルヴィアは、ラウリの話などまるで聞いていない。

 リスのように膨らんだ頬がもそもそと動くたび、頭の両サイドにある赤いリボンもふるふると揺れる様子を一瞥し、ラウリは仰々しく額に手を添えて溜息をついた。

「何なんだろうなぁ。やっぱり俺は腐っても『ラウリ』なんでしょうね……お嬢様が呼吸をして動いてるだけで、何でもない日々がそれはもう尊」
「ばぁ!」
「ばぁ~!」

 この唐突な「ばぁ」は「いないいないばぁ」から「いないいない」を取り除いたシルヴィアお気に入りの遊びである。ラウリは「いるいるばぁ」と呼んでいるが一体何が楽しいのかは不明だ。

 いるいるばぁは本当に突然仕掛けてくるため、これに咄嗟に対応できるのはラウリとベテラン侍女、それから公爵夫妻ぐらいのものである。

 両手を広げてだらしのない笑顔を返してやれば、シルヴィアがぱちぱちと手を叩いて喜んだ。今日も頭から爪先まで隈なく可愛いシルヴィアにクソデカい溜息をつきながら、ラウリは紅葉のような手をハンカチで拭っていく。

「……お嬢様。お嬢様はこの屋敷に留まらず世界中で愛されるべき存在ですので、王子ごときにこだわらなくてよろしいんですからね」
「うり、くっきー!」
「はい、あーん。まぁもしかしたら王子も? こんなに幸せそうで無邪気なお嬢様を見たら一発で陥落しちゃうかもしれませんが? それは俺が許しませんからね!! お嬢様をお嫁さんにしていいのは大帝国出身で金も良識もあるウルトラスーパーダーリンじゃないとなぁ!? 間違ってもお嬢様の前で他の女と平気でいちゃつくような不実な男は選んじゃいけませんよ! めっ!!」
「めっ」
「くぅ~ッ心配!!」

 どれだけ言っても相手はまだ二歳にもなっていない幼女である。何一つ理解せず「めっ」だけ反芻して笑っているシルヴィアをがばりと抱き上げ、ラウリはその両脇を高く掲げるようにして木陰に寝そべった。

「きゃあ!」
「木漏れ日を背にはしゃぐお嬢様、天使以外の何者でもないな……何だってこんな可愛い生き物を悪役に配置したんだ? 理解しがたい……」

 難しい顔でぶつぶつと名前も知らない小説の作者に文句を連ねる間も、シルヴィアをあやす手は止めない。

「しかしこんだけお嬢様の環境を整えても王子との婚約は逃れられないもんなのか……? どうせ王子はヒロインとくっつくんだし、お嬢様は早々に別の誰かと結婚させるとか……けっ、こん……させる……」


 結婚するのか、どこの馬の骨とも知れない奴と──。


 将来訪れるであろうその瞬間を想像し、親でもないくせにラウリは悲しみに暮れた。あまりの喪失感に両腕を下ろせば、ラウリの胸に落ちたシルヴィアがきょとんとして這い寄ってくる。

 寝転がったままの高い高いがお気に召したのか、彼女はラウリの顎をつつきながらおねだりした。

「うり、もっとちて」
「はぁ……サ行が壊滅的に言えないお嬢様めっちゃかわいい……」

 自分の名前を言わせたら「ちるびあ」になるんじゃないだろうか。想像するだけで嫌な気分が遥か彼方へと飛んでいった単純な頭の持ち主ラウリは、主のご希望に沿わねばと再びシルヴィアの両脇を抱えようとしたが。

「──おお、おお! こんなところにいたのか、シルヴィア!」