■ホールロビー
ロビー前の看板には「ピアノコンクール会場」と書かれている。
にぎわうロビーで『小瀬真希、予選落ち』と書かれた紙を見つめる小瀬真希(17)。
真希<普通の高校生は「普通」と言われてもなにも思わないだろう。でもこの学校において「普通」は>
真希、紙をくしゃくしゃと丸めて鞄にしまい出口に向かって歩き出す。
真希<もっとも言われたくない言葉だ>

■電車・中(朝)
扉横に寄りかかり、外を見つめる真希。耳にはイヤホンをしている。
目の前では高校生カップルが楽しそうに話している。
真希(あれが普通の青春なんだよな)
窓の外には桜が舞っている。
ポケットからスマホを取り出し画面を確認する真希。
画面には「入祭唱とキリエ Introitus et Kyrie フォーレ「レクイエム」より第1曲」と書かれている。
真希(落ち着く)
鞄から英単語帳を取り出す真希。
真希<夢も希望も死んだ。さよなら私の高校生活>

■都立高等学校・外観(朝)
校門に『芸術高等学校』と書かれている。

■同・校門・外(朝)
イヤホンをしたまま校門を通る真希。
背後から由梨由梨(17)が近寄り、真希の肩を抱く。
由梨「真希!はよ!今年も同じクラスだぞ〜!」
真希、イヤホンを外しながら、
真希「由梨、音楽科は元々クラス1つしかないから…」
由梨「そうだったね!何聴いてたの?」
由梨、真希のポケットからスマホを取り出す。
真希「あ、ちょっと!」
由梨、画面を見てため息をつく。
由梨「新学期の朝からレクイエムとか暗すぎる…真希拗れすぎ」
真希「べ、別にいいでしょ!何聴いてても!」
恥ずかしそうに横を向く真希。

■同・玄関・中(朝)
靴を履き替える真希と由梨。
下駄箱の奥に階段が見える。
由梨「真希」
真希「ん?」
由梨「もうコンクール出る気本当にないの?」

× × ×
(フラッシュ)
『予選落ち』と書かれた紙を握りつぶす真希。
× × ×

真希「…出ないし、音大にも行かない」
由梨、寂しそうに笑う。
由梨「そっか」
由梨、真希の頭をガシガシとなでる。
由梨「ってことは一般の大学を受験すんのか?浪人したら慰めてあげるから!」
真希「あ!ちょっと!」
由梨の腕を払いながら階段を登る真希、後に続く由梨。
真希と由梨の姿を黙って見つめている、結城遥(17)。
結城の様子に気づき、声をかける橋間梨々香(17)。
梨々香「結城くん?どうしたのぼーっとして」
結城「あ、ああなんでもない…」
誰もいない階段を見つめる結城。

■同・アンサンブル室・中
40人ほどの生徒がピアノの音を聴きながら、楽譜を埋めている。
真希(あー、全然わからん)
真希の五線譜は4割ほど埋まっている。
真希<音楽高校の新学期は聴音とソルフェージュのクラス分けから始まる>
真希<聴音では演奏を数回聴いて楽譜を完成させる>
真希<ちなみに3回目には暇そうに虚空を眺めているやつもいる>
結城、鉛筆を置いて外を眺めている。
真希(本当いやになる)
楽譜に音符を入れる真希。

■同・レッスン室・中
真希<ソルフェージュのクラス分けでは、初見の楽譜をその場で歌う>
教員が数名座り、ピアノと譜面台が置かれている。
真希が中に入ってくる。
真希「失礼します」
真希<40秒ほど楽譜を見て、あとはぶっつけ本番で歌う>
楽譜を眺める真希。
楽譜は複数の音楽記号をともなっている。
真希(ここどうなってるか自信ないな…)
教員「はい、それではお願いします」
真希、緊張した面持ちで譜面台の前に立ち直る。

■同・教室・中
真希が入ってくる。
ホワイトボードの前で数人の生徒が楽しそうに話している。
真希<クラスは5つに分けられ、成績が同じくらいの人同士で組まれる>
男子生徒ホワイトボードに楽譜を書きながら、
男子生徒「今回の課題の曲さ、ここ調変わったよね」
結城「いや、あれは借用和音だから…」
男子生徒からペンを取り、楽譜に書き足そうとする結城。
真希(あー、はいはい、そうですか)
真希<で、上のクラスの人たちはああやってテスト終わりに集まって話をしているわけだ>
ホワイトボードを嫌そうな顔で軽く見て、通過しようとする真希。
結城、真希に気づき、手を止める。
結城「あ、ピアノ科」
真希「は?」
ペンをホワイトボードに置き、真希に近づく結城。
結城「ちょうどよかったわ。今朝聞こえたんだけど、お前今年暇なんだってな」
真希「…え?」
周りの生徒たちが心配そうに成り行きを見ている。
結城「なあ、校内演奏会のオーディション出ないんだったら伴奏やってよ」
真希(何言ってんだこいつ?校内演奏会のオーディションってもう来月じゃん)
結城「ピアノ科だろ?伴奏くらいは余裕っしょ!オーディション出るやつにはやっぱ頼みにくくてさ、ちょうどよかったわ」
ニコニコと笑いながら真希の肩を叩く結城。
真希(余裕じゃないわ!もっと弾けるやつに頼んでよ。オーディション出ない私の気も知らないくせに)
結城「おーい、聞こえてる?」
真希「…断る」
結城「え?」
真希、背を向けて教室から出ていく。

■同・廊下
廊下の真ん中で足を止める真希。
真希(ムカつく。これだから天才は嫌い)
拳を握る真希。

■同・屋上
弁当を突いている真希とパンの袋を持った由梨。
由梨「え、じゃあ結城くんに伴奏頼まれたの?」
真希「絶対やらないけどね!」
由梨「ふーん、もったいない。天才バイオリニストの伴奏とか滅多にやれるもんじゃないのに」
真希「なおさらやりたくない。そもそも校内演奏会のオーディションって来月でしょ?1ヶ月で仕上がると思ってるのがそもそもムカつく」
由梨「でも合格したらみんなの憧れ『ステラホール』で演奏できるんだよ?」
真希「伴奏だけどね!」
由梨、首を傾げながら、
由梨「真希って生きづらそうだよねえ。伴奏だろうがなんだろうが乗りたい人はたくさんいるのに」
真希「うるさい」
横を向く真希。

■同・玄関・掲示板前
掲示板を読む生徒の姿。紙には『オーディション募集要項、楽器自由、持ち時間15分』と書かれている。
真希<校内演奏会は校内にある『ステラホール』というところで行われる>

■同・レッスン室・中
ピアノを弾いている生徒。
真希<3年生の中からオーディションで合格した3人だけ出られるその演奏会は実質『その年の優秀者』が選ばれる催しで有名な先生も招待する>

■同・廊下
ケースから出したバイオリンを持って歩いている結城。
<つまり名前を売るのに最適な場というわけで、出ない人はほぼいない(私は出ない)>

■同・屋上
パンの袋を持ったまま、人差し指をあげる由梨。
由梨「しかし結城くんねえ、たしかお父さんが有名なピアニストだっけ?」
真希「母親はチェリスト。ついでにお爺さんはトランペッター」
由梨「音楽一家か、そりゃ勝てんな」
はははと笑う由梨。
真希「もう入り口から違うんだよ…」
由梨「まあね、音楽に限らず芸術って極めるのに時間も金もかかるからね。しかも成功するのは本当に一握り。よっぽどの音楽好きか根性がなきゃやってられないよねえ」
視線を弁当に落とす真希。
真希(どうして音楽高校に進学したんだっけ…子供の頃はただ…)
箸を持つ指を見つめる真希。
由梨、閃いたように、
由梨「あ、そういえば、今日のランチタイムコンサートってたしか結城くんだよ」
真希「行かないからね」
真希、嫌そうな顔をする。
結城の声「おーい!屋上のお前!」
真希・由梨「え?」
真希、由梨、立ち上がり、柵の上から下を見る。
結城が校庭に立っている。
周りの生徒たちがざわついている。
真希、由梨、顔を見合わせる。
結城「お、いたいた!校内中探し回ったわ!」
ブンブンと弦を振る結城。
真希「え、あいつ今日ランチコンって言ってたよね?」
由梨「う、うん…」
結城、弦で真希を指し示す。
真希、体を少し後ろに逸らす。
結城「ここで!ランチコンしてやるから!しっかり聴けよ!断るなら俺の演奏聴いてから断れ!礼儀知らず!」
結城、バイオリンを構える。
由梨「嘘でしょ、本当にここで弾くつもり?」
唾を飲み込む真希。
結城、バイオリンを弾き始める。
真希<パガニーニ カプリース(奇想曲)第24番>
真希<ヴァイオリン独奏曲で無伴奏。奇想曲とはイタリア語ではカプリッチョと言い「きまぐれ」を意味する>
真希(なんだろう、この演奏…目がそらせない…)
一筋の涙が真希の頬を流れる。
演奏を止める結城。
周りに人だかりができている。拍手と歓声に包まれる。
結城「おい、今の聴いて伴奏やりたくなったなら放課後練習室に来い!」
校舎内に入っていく結城。ざわつく生徒たち。
人だかりの中で、梨々香が悔しそうに歯を食いしばり、結城を眺めている。
男子生徒「え、あれの伴奏すんの?荷が重いわ」
女子生徒「でもあの結城くんに伴奏頼まれるとかすごくない?」
屋上の柵を握る真希。
生徒たち、解散し校内に戻っていく。
由梨「真希…?どうした?」
真希「…悔しい」
しゃがみ込む真希。顔を隠している。
由梨「あー…真希って拗れてるけど音楽は好きだもんなあ…カワイソウに…」
由梨、真希のそばにしゃがむ。
由梨「ちょっと伴奏やってみたいんでしょ?」
真希(私はこれほどの、人の気持ちを食うような音楽を目指したことはあっただろうか?)
真希、頭を抱える。
真希「あー!もう!」
立ち上がる真希。

■同・練習室(夕)
ピアノ椅子に腰掛け楽譜を読んでいる結城。西日が差している。
結城「お、来たか」
頷く真希。
楽譜を手渡す結城。ニコニコと笑っている。
結城「で?明日から合わせられる?」
真希「あ、えっと譜読みするのでオマチクダサイ…」
結城、キョトンとした顔で、
結城「どれくらい?」
真希「突貫工事で10日…」
結城「…まじで?」
真希「まじです」
真希(ピアノ科の誰もが初見いけると思うなよ!)
結城、あごに手を当てしばらく考えたのち、
結城「…俺が練習見てやるよ」
真希「え」
固まった顔の真希。
真希「でも、結城くんも自分の練習あるでしょ?」
結城「いや、伴奏も合わせて俺の音楽だから」
真希「あ、ハイ…」
楽譜を持ったまま苦笑いする真希。
結城「ちょっと弾いてみてよ」
席を立つ結城。
真希「は、はあ…でも初見だから期待しないでよね」
椅子に腰かけ、楽譜を開く真希。
深呼吸を1つしてピアノを弾き始める。
結城「…懐かしいな」
真希、手を止める。
真希「え?なんか言った?」
結城「ううん、なんでも」
結城、真希の隣の椅子に座る。
結城「小瀬さんさ、いい音で弾くよね」
真希「え?」
不意に真希の手を取る結城。
真希「はい!?」
結城「ちゃんと練習している弾き方だ」
結城、小首を傾げる。にっこりと笑う。
結城「伴奏、よろしくね?」
真希(な、なんか、嫌な予感!)
真希<「一目惚れ」がこの世にあるのならば、きっと私の場合は「一耳惚れ」>
真希<私は今年でピアノを辞める。音大にも行かない。でも最後にこの男の伴奏を引き受けることにした>