僕は野坂先輩に黙っていることがある。
野坂先輩と僕は、実は同じ小学校と中学校を出ているんだ。
でも先輩は、僕のことなんてこれっぽちも覚えていないと思う。
僕が小学校五年生の時、中学一年生の野坂先輩に出会っているんだ。
その思い出は不甲斐なくて恥ずかしくって言ってないけど。
住んでる市内の小・中学校合同の地域交流運動会があった。
僕はリレーの選手で、トラックのカーブで他のチームの選手に押されて転倒した。
捻挫して、保健担当係の野坂先輩が僕を保健室までおんぶしてくれたんだ。
怪我したからっていっても、女の子におんぶされてんのがすっげえかっこ悪くて。
だけど、好きになってた。
初恋だったんだ。
気になって仕方がなくて。
運動会の終わりに全員で撮った写真が、実家の自分の机の引き出しに眠ってる。
こっちには写真は持って来なかった。
だって万が一にも先輩とか、部屋には先輩以外にはあげるつもりはないけど成り行きで誰かに見られたら説明に困るもんね。
運動会の体操着のぜっけんにはしっかり「野坂茜音」って書いてあるし、先輩の面影がある。
同じ公立の中学校に入ったけど、野坂先輩には一言も話しかけられなかった。
その時、先輩は中三で僕は中一だ。
ヘタレで勇気が出なかった。
部活も僕はバスケで、先輩は吹奏楽部で接点はナシ。
高校はどこに行ったのか知らない。とうぜん、卒業した大学も知らない。
(……今は野坂先輩から直接聞いてるから知ってるけどね)
社会人になって、入った会社の所属部署で新人の教育係が野坂先輩だった。
まじでビックリした。
同じ会社に勤めてるって、これって運命じゃないのか?
予想外の再会に僕は心が踊った。
けど、先輩は僕のことは分からなかった。
それに、野坂先輩には恋人がいた。
惚気を聞く度に胸が痛んだ。
僕は先輩と再会してから、先輩のことで頭がいっぱいになった。
だって、先輩は思い出の中よりももっともっと可愛かった。
学生時代には彼女が出来たけど、バスケで大怪我をしてプロの選手を目指すことが叶わなくなった時、僕は心を閉ざして彼女とは疎遠になって別れた。
仕事はあえてスポーツ関連の会社とかにしなかった。
大学で国語と体育の教員免許もとったけど、学校の先生をやることにどうにも気が向かなかった。
毎日が暗かった。
黒い闇の中にうずくまるイメージ。
抱いていた夢が打ち砕かれたんだ。立ち直れない。
どん底で、やる気が起きない。
世界は常に自分の外側で動いていた。
そんな僕が、そんな僕の暗い心が野坂先輩に再会していっぺんに変わった。
先輩は僕が部長にミスを押し付けられて困っていたら助けてくれた。
他にも、励ましてくれたり、先輩は僕だけじゃないけど、困っている人を放っておけない優しい人だった。
あの、おんぶしてくれた時の先輩の優しさはちっとも変わっていなかったんだ。
告げようとすると、恥ずかしさが立ちはだかる。
だから言っていなかったんだけど。
どうせ、覚えていないだろうから、おんぶした小学生だと思い出してほしくない。
年の差があるからって、小五の男子が中学生の女の子におんぶしてもらうなんてさ、ダサいって思う。っていうか、情けなくって。
なのに、大切な思い出なんだ。
先輩を好きになった日。
野坂先輩を大好きになったきっかけのあの日は、僕の純粋で誰にも穢されたくない思い出だ。
(『僕のことはお気になさらずに、思いっきり常盤社長に口説かれてください』
『城ヶ崎君……』
『だって常盤社長に送ってもらったんでしょう? 告白されたんだよね、野坂先輩は』
『ねえ、むくれてるの?』
『先輩は僕のものじゃないですからね。そう、恋人同士じゃないですからね。誰と付き合おうが先輩の勝手なんです。僕に言う権限はないんです』
『城ヶ崎君〜』)
↑これは、(カッコ)内の『会話のことば』は妄想です。
僕のネガティブ思考が生み出した妄想です。
くーっ。せっかく先輩に会えるってのに、険悪なムードになんかするもんか。
ちょっと怒りがふつふつと湧いてきそうだけど。
僕がどうしてこんな妄想で苦しんでいるかと言うと、野坂先輩からのメールで【常盤社長に送ってもらっています。もうすぐ着くよ】って来たから。
な、なんで、常盤社長に送ってもらうんだよ〜って、ぷんぷん怒りたくなるのは普通なことでしょ?
でも、野坂先輩が仕事帰りに僕の家にわざわざ来てくれるんだから、僕はいちゃいちゃして甘い時間を過ごしたい。
質問も喧嘩調になりそうな言葉は言わないようにしよう。
疲れた野坂先輩を僕が癒せるように。
「先輩いらっしゃ〜い!」
「城ヶ崎君、こんばんは。体調はどう? ご飯は食べた? まだだよね?」
愛しの野坂先輩!
やっと会えた。
「わりと元気そうだな、城ヶ崎君」
だが、先輩の後ろには高そうなスーツでキメた長身のイケメンが立っている。
そう。お邪魔な常盤社長が野坂先輩の背後にびしっと佇んでいる。
まるでお姫様を守る騎士かボディーガードの雰囲気だ。
「野坂先輩、会いたかったよ。……って、なんだ。……常盤社長も玄関まで来たんですね。あの狭いとこですが社長も上がりますか?」
「これ、見舞いだ。君と野坂さんで食べなさい。俺はここで失礼するよ。――ああ、忠告しとくが、中山君には注意してやってくれ。君は野坂さんの番犬なんだろ? 俺も気にかけておくつもりだ。では、お大事に」
「どういうことです?」
「野坂さんのことは頼んだぞと言っているんだ」
それだけまくし立てると、常盤社長は帰って行った。
僕が先輩を見ると、先輩は目を少しそらした。
野坂先輩の不安そうに強張った顔。ああ、これは会社でなんかあったんだ。
「先輩、上がって。なにがあったの? ちゃんと聞くから。僕に話して?」
「城ヶ崎君っ……」
野坂先輩が僕に抱きついてくる。
可哀想に。
先輩――。
つらいこと、たぶんあったんだろう。
僕は抱きしめ返した。
先輩はちょっと泣いている。
僕の腕の中にすっぽりとおさまる華奢な野坂先輩の肩が、涙をこらえようとするたびに震えて上下する。
「……常盤社長がうちに送ってきたのって。……ねえ、もしかして中山さんが先輩になんかしたんですか」
「たいしたことないの。でも……怖かった。ごめん、泣いたりして」
「野坂先輩を泣かせるなんて許せない」
「ごめん、城ヶ崎君が怒ることじゃないよ。ただ、また付き合ってほしいって迫られただけだから。常盤社長が助けてくれたから大丈夫」
僕はもうぐちゃぐちゃな気持ちだった。
先輩が傷ついているのは事実だ。大丈夫なんて、そんなことあるもんか。
――許せない、中山の野郎には牽制をかけないとな。
「僕、明日は会社に行きます。休んでる場合じゃない」
「だめだよ、城ヶ崎君はしっかり治るまで休んでないと。私のことは平気だから。……きゃっ」
僕は野坂先輩を抱き上げて、ソファまで運んだ。
先輩の隣りに座って僕はしっかりと――、先輩のさっきまで泣いていた潤んでいる瞳を見つめる。
「休んでなんかいられませんよ。僕は野坂先輩のそばで守りたいんです。それから僕を好きだって気持ちがあるなら、きちんと僕を彼氏にしてください。別れとか怖がらないで。僕は先輩を大事にする。……僕から先輩と離れたいとか言うわけないじゃないですか」
「私、もう怖いの。恋愛が怖くなっちゃった」
震えてる先輩を抱きしめると、先輩の震えがおさまる。
「中山君だってね、最初は優しかったんだよ」
「僕と中山さんは一緒じゃありません」
「だって人って変わるじゃない? あんなに好きだって思ってたことがある相手が怖くなるなんて……」
「うん。……そうだね。中山さんは悪い男だ。先輩を何度も泣かせてる。だけどそんな男ばかりじゃないよ? 少なくとも僕は違う。先輩、あのね。僕の大切な思い出を話すから聞いてくれるかな。とても大切な思い出なんだ」
僕は決心した。
先輩の頑なに閉じてしまった心の壁、僕の思い出が溶かしてくれる気がした。
初恋は野坂先輩なんだ。
僕が初めて好きになった人。
それから、また好きになった人。
「茜音さん、初恋はあなたなんです」
僕はあえて先輩を名前で呼んだ。
響いて欲しい。
今すぐじゃなくてもいい。
「僕が初めて恋したのは小学生の時。初恋の相手は野坂先輩なんです」
僕という人間は先輩、あなたを一途に想っています。
野坂先輩と僕は、実は同じ小学校と中学校を出ているんだ。
でも先輩は、僕のことなんてこれっぽちも覚えていないと思う。
僕が小学校五年生の時、中学一年生の野坂先輩に出会っているんだ。
その思い出は不甲斐なくて恥ずかしくって言ってないけど。
住んでる市内の小・中学校合同の地域交流運動会があった。
僕はリレーの選手で、トラックのカーブで他のチームの選手に押されて転倒した。
捻挫して、保健担当係の野坂先輩が僕を保健室までおんぶしてくれたんだ。
怪我したからっていっても、女の子におんぶされてんのがすっげえかっこ悪くて。
だけど、好きになってた。
初恋だったんだ。
気になって仕方がなくて。
運動会の終わりに全員で撮った写真が、実家の自分の机の引き出しに眠ってる。
こっちには写真は持って来なかった。
だって万が一にも先輩とか、部屋には先輩以外にはあげるつもりはないけど成り行きで誰かに見られたら説明に困るもんね。
運動会の体操着のぜっけんにはしっかり「野坂茜音」って書いてあるし、先輩の面影がある。
同じ公立の中学校に入ったけど、野坂先輩には一言も話しかけられなかった。
その時、先輩は中三で僕は中一だ。
ヘタレで勇気が出なかった。
部活も僕はバスケで、先輩は吹奏楽部で接点はナシ。
高校はどこに行ったのか知らない。とうぜん、卒業した大学も知らない。
(……今は野坂先輩から直接聞いてるから知ってるけどね)
社会人になって、入った会社の所属部署で新人の教育係が野坂先輩だった。
まじでビックリした。
同じ会社に勤めてるって、これって運命じゃないのか?
予想外の再会に僕は心が踊った。
けど、先輩は僕のことは分からなかった。
それに、野坂先輩には恋人がいた。
惚気を聞く度に胸が痛んだ。
僕は先輩と再会してから、先輩のことで頭がいっぱいになった。
だって、先輩は思い出の中よりももっともっと可愛かった。
学生時代には彼女が出来たけど、バスケで大怪我をしてプロの選手を目指すことが叶わなくなった時、僕は心を閉ざして彼女とは疎遠になって別れた。
仕事はあえてスポーツ関連の会社とかにしなかった。
大学で国語と体育の教員免許もとったけど、学校の先生をやることにどうにも気が向かなかった。
毎日が暗かった。
黒い闇の中にうずくまるイメージ。
抱いていた夢が打ち砕かれたんだ。立ち直れない。
どん底で、やる気が起きない。
世界は常に自分の外側で動いていた。
そんな僕が、そんな僕の暗い心が野坂先輩に再会していっぺんに変わった。
先輩は僕が部長にミスを押し付けられて困っていたら助けてくれた。
他にも、励ましてくれたり、先輩は僕だけじゃないけど、困っている人を放っておけない優しい人だった。
あの、おんぶしてくれた時の先輩の優しさはちっとも変わっていなかったんだ。
告げようとすると、恥ずかしさが立ちはだかる。
だから言っていなかったんだけど。
どうせ、覚えていないだろうから、おんぶした小学生だと思い出してほしくない。
年の差があるからって、小五の男子が中学生の女の子におんぶしてもらうなんてさ、ダサいって思う。っていうか、情けなくって。
なのに、大切な思い出なんだ。
先輩を好きになった日。
野坂先輩を大好きになったきっかけのあの日は、僕の純粋で誰にも穢されたくない思い出だ。
(『僕のことはお気になさらずに、思いっきり常盤社長に口説かれてください』
『城ヶ崎君……』
『だって常盤社長に送ってもらったんでしょう? 告白されたんだよね、野坂先輩は』
『ねえ、むくれてるの?』
『先輩は僕のものじゃないですからね。そう、恋人同士じゃないですからね。誰と付き合おうが先輩の勝手なんです。僕に言う権限はないんです』
『城ヶ崎君〜』)
↑これは、(カッコ)内の『会話のことば』は妄想です。
僕のネガティブ思考が生み出した妄想です。
くーっ。せっかく先輩に会えるってのに、険悪なムードになんかするもんか。
ちょっと怒りがふつふつと湧いてきそうだけど。
僕がどうしてこんな妄想で苦しんでいるかと言うと、野坂先輩からのメールで【常盤社長に送ってもらっています。もうすぐ着くよ】って来たから。
な、なんで、常盤社長に送ってもらうんだよ〜って、ぷんぷん怒りたくなるのは普通なことでしょ?
でも、野坂先輩が仕事帰りに僕の家にわざわざ来てくれるんだから、僕はいちゃいちゃして甘い時間を過ごしたい。
質問も喧嘩調になりそうな言葉は言わないようにしよう。
疲れた野坂先輩を僕が癒せるように。
「先輩いらっしゃ〜い!」
「城ヶ崎君、こんばんは。体調はどう? ご飯は食べた? まだだよね?」
愛しの野坂先輩!
やっと会えた。
「わりと元気そうだな、城ヶ崎君」
だが、先輩の後ろには高そうなスーツでキメた長身のイケメンが立っている。
そう。お邪魔な常盤社長が野坂先輩の背後にびしっと佇んでいる。
まるでお姫様を守る騎士かボディーガードの雰囲気だ。
「野坂先輩、会いたかったよ。……って、なんだ。……常盤社長も玄関まで来たんですね。あの狭いとこですが社長も上がりますか?」
「これ、見舞いだ。君と野坂さんで食べなさい。俺はここで失礼するよ。――ああ、忠告しとくが、中山君には注意してやってくれ。君は野坂さんの番犬なんだろ? 俺も気にかけておくつもりだ。では、お大事に」
「どういうことです?」
「野坂さんのことは頼んだぞと言っているんだ」
それだけまくし立てると、常盤社長は帰って行った。
僕が先輩を見ると、先輩は目を少しそらした。
野坂先輩の不安そうに強張った顔。ああ、これは会社でなんかあったんだ。
「先輩、上がって。なにがあったの? ちゃんと聞くから。僕に話して?」
「城ヶ崎君っ……」
野坂先輩が僕に抱きついてくる。
可哀想に。
先輩――。
つらいこと、たぶんあったんだろう。
僕は抱きしめ返した。
先輩はちょっと泣いている。
僕の腕の中にすっぽりとおさまる華奢な野坂先輩の肩が、涙をこらえようとするたびに震えて上下する。
「……常盤社長がうちに送ってきたのって。……ねえ、もしかして中山さんが先輩になんかしたんですか」
「たいしたことないの。でも……怖かった。ごめん、泣いたりして」
「野坂先輩を泣かせるなんて許せない」
「ごめん、城ヶ崎君が怒ることじゃないよ。ただ、また付き合ってほしいって迫られただけだから。常盤社長が助けてくれたから大丈夫」
僕はもうぐちゃぐちゃな気持ちだった。
先輩が傷ついているのは事実だ。大丈夫なんて、そんなことあるもんか。
――許せない、中山の野郎には牽制をかけないとな。
「僕、明日は会社に行きます。休んでる場合じゃない」
「だめだよ、城ヶ崎君はしっかり治るまで休んでないと。私のことは平気だから。……きゃっ」
僕は野坂先輩を抱き上げて、ソファまで運んだ。
先輩の隣りに座って僕はしっかりと――、先輩のさっきまで泣いていた潤んでいる瞳を見つめる。
「休んでなんかいられませんよ。僕は野坂先輩のそばで守りたいんです。それから僕を好きだって気持ちがあるなら、きちんと僕を彼氏にしてください。別れとか怖がらないで。僕は先輩を大事にする。……僕から先輩と離れたいとか言うわけないじゃないですか」
「私、もう怖いの。恋愛が怖くなっちゃった」
震えてる先輩を抱きしめると、先輩の震えがおさまる。
「中山君だってね、最初は優しかったんだよ」
「僕と中山さんは一緒じゃありません」
「だって人って変わるじゃない? あんなに好きだって思ってたことがある相手が怖くなるなんて……」
「うん。……そうだね。中山さんは悪い男だ。先輩を何度も泣かせてる。だけどそんな男ばかりじゃないよ? 少なくとも僕は違う。先輩、あのね。僕の大切な思い出を話すから聞いてくれるかな。とても大切な思い出なんだ」
僕は決心した。
先輩の頑なに閉じてしまった心の壁、僕の思い出が溶かしてくれる気がした。
初恋は野坂先輩なんだ。
僕が初めて好きになった人。
それから、また好きになった人。
「茜音さん、初恋はあなたなんです」
僕はあえて先輩を名前で呼んだ。
響いて欲しい。
今すぐじゃなくてもいい。
「僕が初めて恋したのは小学生の時。初恋の相手は野坂先輩なんです」
僕という人間は先輩、あなたを一途に想っています。