「るんるんるーん、るんるんるーん、るんらるんらるーーーん」

 と、鼻歌を歌いながらわたくし、アーデリー・ミールスは革のロングブーツを履く。
 腰に剣を下げ、お尻の下まで伸びた赤いカールした髪を、頭の上の方で一つに結い上げる。
 使い込んだ革の手袋。革の胸当て。引き締まったお尻には赤のショートパンツ。
 ロックベアの皮で作った頑丈なリュックには、テントと携帯食糧、水と魔法収納袋。

「よし! それでは行ってくるわね、ルディ」
「はい、お嬢様。行ってらっしゃいませ」

 侍女のルディに手を振って、わたくしは実家の公爵家を後にする。
 わたくしがいたら、馬鹿タレ王子アルゼンと聖女気取りのティピアはどんな顔をするかしら?



 遡ること半年前、わたくしは学園の卒業パーティーで突如婚約者アルゼン第一王子に婚約破棄を突きつけられた。
 王子アルゼンは栗色の髪の乙女、ティピア・ファリー男爵令嬢と結婚すると立て続けに宣言したのである。
 最初はなにを言われているかわからなかったけれど、どうやらティピア男爵令嬢は『聖女』らしい。
 聖女——毎年開催される『聖域フィフィル』を自国領地として定める、ある種の戦争『陣取り祭り』で聖域へ立ち入れる乙女の称号——ちなみに男性は『聖人』と呼ばれるわ——。
 聖域フィフィルは魔力の源。
 我が東の国ロブベリオと、西の国オルドリオの国境上空にあり、聖域を陣地——自国内に引き摺り込まれば、その年は聖域フィフィルの魔力恩恵を受け取ることができる。
 ぶっちゃけ、聖域は自国に引き寄せればいいので聖域自体に入る必要性はまったくなく、入ってもなにかあるわけではないし高濃度の魔力で溢れているので魔力酔いすると聞く。
 けれど『聖女』『聖人』の称号は人々に尊敬されるものなので、自分たちの浮気の印象を少しでも薄めるために利用されたのだと思う。
 しかも、奴らはわたくしがティピアに嫌がらせをした、と証拠もないのに突きつけてきた。
 思い出しても腹が立つ。

「まったく、なにが『ティピアが大人しくて優しいからと、虫をカバンに入れたり突き飛ばしたりした』ですか。虫は平気だけどわたくしが本気で突き飛ばしたら殺してますわよ、まったくぅ!」

 そんなわけで、あの夜嬉々として婚約破棄を受け入れたわたくしは急遽帰宅してお父様に貴族籍を抜いて冒険者となる許可をいただいた。
 冒険者となれば、貴族義務である『陣取り祭り』の参戦はしなくて済む。
 どうしてもわたくしに『陣取り祭り』へ参加してほしい、というのならわたくしに『依頼』しなければいけませんし? 当然『依頼』には『報酬』! というものを支払わねばなりません!
 おほほほほ、わたくしに婚約破棄を突きつけ、冤罪をふっ被せ、貴族から追放し——たように見せかけてますけど〜——ておきながら頭を下げてわたくしに『陣取り祭りに出場してください、お願いします』と頼まなければならない彼らの気持ちを思うと、胸が躍りますわ〜!
 まあ、断りましたけど。
 当然の如く断りましたわよ。
 おーーーっほっほっほっほっほ! 断って差し上げましたわ〜!
 あの時のアルゼン殿下の悔しそうな表情、たまりませんでしたわ〜!
 額縁に入れて飾っておきたい愉快なお顔でしてよ〜!

 でも出るんですけどね、『陣取り祭り』には。
 はい、こちらが本日『陣取り祭り』が行われる両国の国境。
 会場フィフィル渓谷ですわ。
 渓谷の真上に聖域フィフィルがあり、フィフィル渓谷には聖域フィフィルを移動させる装置がある。
 神の作りし神具であり、起動させられるのが一年に一度、今日という日だけなのだそうだ。
 去年は隣国、西の国オルドリオが勝利している。
 負けが続けば魔力は不足して雨が減り、作物が育ちづらくなり、魔道具などが機能停止に陥るだろう。
 つまり、死活問題なのだ。
 毎年交代で聖域フィフィルを自国内に引き込めばよいものを、血の気の多い我が国と隣国の国民性はそれが我慢ならず、毎年『陣取り祭り』を催して暴れ回る祭りを行う。
 国民のガス抜きにもなっているので、武芸に秀でた貴族は強制参加の拒否権なし。
 わたくしが貴族籍から抜けたのは、この法律があるからですわ。
 ミールス公爵家には——わたくしにはお兄様がいるので跡取りは問題なし。
 母の膨大な魔力と、父の武芸の才を受け継いだわたくしは次期王子妃として『陣取り祭り』の要となることを期待されておりました。
 去年、わたくしは隣国の王子にも勝利しましたが、アルゼン殿下や騎士団長、宮廷魔法師筆頭が負けてしまったので国としても敗北でしたわ。
 チーム戦なので仕方ないです。

「そこのお嬢さん、トーナメントに出るのかい? 串焼き食って力をつけていかないかい!?」
「まあ、美味しそうですわね。一本いただこうかしら?」
「毎度!」

 ふふ、さて……そんな感じでフィフィル渓谷は今日、お祭りです!
 屋台は並び、渓谷の上に設置されたリングでは両国の代表、最後の一人を決める一般参加のトーナメント最終戦が行われております。
 陣取りの戦いは五人対五人。
 一対一で戦い、その勝者の数が多い方が勝ちですわ。
 貴族から実力者が四名選ばれ、一般参加で準決勝を勝ち抜いた五名がトーナメントで争い、優勝した者が陣取り戦に参加できるのです。
 正直言って、一般参加には金級の冒険者も参加しますから王侯貴族より強い場合が多いですわ。
 串焼きをしっかりお腹に収めてから、わたくしもリング側へと参ります。
 ええ、我が東の国ロブベリオの出場はお断りしましたが、陣取り戦には参加しますからね、うふふ。
 ……あら? ロブベリオの陣地に見たことあるツラの者どもが集まって騒いでおりますわね?

「どうなさるおつもりですか、兄上! アーデリー嬢の代わりを務められるような冒険者は、いませんでしたよ!?」
「だから、問題ないと言っているだろう。我が国にはティピアがいるのだ。聖域に立ち入っても問題ない強大な魔力を持つティピアがいれば、我が国の勝利は確実だ」
「またそればかり……。ティピア嬢は回復魔法師でしょう!? どうやって戦うのです!?」
「それは——えーと、その……なんとかして戦うのだ。な!? ティピアよ」
「はい! アルゼン様」

 あらあらあーらあらあら。
 馬鹿タレ王子アルゼンとツラの皮王国法律書聖女ティピアさんたちではありませんか。
 トーナメントで優勝者も決まったようですのに、お通夜空気でお笑い種ですわ。
 回復魔法しか使えないのに一対一の対人戦に出るなんて、自分を回復し続けて相手の疲弊を待つつもりでしょうか?
 リングアウトで渓谷に落ちても負けですわよ?
 絶望的ですわね〜、おほほほほ。

「アーデリー・ミールス嬢、よく来てくれた」
「あら、ゼルクス様。わたくし雇われておりますもの、来るに決まっておりますわよ。本日はよろしくお願いしますわね」
「ああ、よろしく頼む」

 オルドリオの陣地から、黒い鎧を身に纏った長身の男が近づいてくる。
 鎧と同じ漆黒の短髪と、切長い琥珀色の瞳。
 心地いい低音の声で喋っただけで、観客の女性たちの深い感嘆の溜息。
 西の国オルドリオ王国、国王ゼルクス・オルドリオ。
 わたくしの雇い主ですわ。

「アーデリー!」
「あら」

 ゼルクス様と合流したところを、ロブベリオ陣地の者たちからも見えたのでしょう。
 アルゼン殿下がわたくしを指差して名前を呼び捨てる。
 いやねぇ、婚約破棄したのはそちらでしょうに。

「アルゼン殿下お久しぶりですわ。ですが、わたくし今はあなたの婚約者ではございませんのよ。馴れ馴れしく名前で呼ばないでくださいませ」
「な、なにを! 貴様、まさかオルドリオ王国側の戦士として我らと戦うつもりではあるまいな!?」
「ああ、そうなりますわね。わたくし、オルドリオ王国王家から直接ご依頼を受けておりますの。オルドリオ王国からの依頼を受けた()()()ロブベリオ王国から同じく陣取りに参加してほしいと依頼が来た時には、笑ってしまいましたわ。浮気相手に嫌がらせをした、とおっしゃりわたくしに冤罪を被せて婚約破棄したにもかかわらず、国の行く末を決める重要な祭りに参加しろだなんて。しかも、殿下たちとともに!」

 そう、あくまでわたくしは中立の冒険者。
 依頼を受けた順番でオルドリオ王国側から出場するのですわ。
 高らかに暴露して差し上げた事柄に、観客席からもざわめきが漏れ始める。
 あなた方の行いがどれほど非常識か、平民たちにさえ信じ難いこととして受け止められているではありませんか。

「だ、だからといって……敵国へ寝返るなと……!」
「勘違いしてもらっては困る、アルゼン王子。ミールス公爵家に嫁いだアーデリー嬢の母は、我が国の侯爵家出身。両国の王侯貴族がこの祭りで己を負かした相手に求婚し、結婚して嫁ぐことは珍しくない」

 ゼルクス様のおっしゃる通り。
 うちの母は父に三連勝し、四回目の戦いに負けて求婚を受け入れて結婚しましたわ。
 なぜかゼルクス様がわたくしの肩に手を置きます。

「アーデリー嬢には俺が求婚中だ。貴殿と婚約破棄したのだから、なにも問題なかろう?」

 初めて聞きましたわ〜。

「くっ……!」
「そんな……ゼルクス様は騙されています! その人は悪役令嬢なのに! そんなシナリオありません!」

 はて、ティピアさんが意味のわからないことを言っておりますが、陣取り戦開始の鐘が鳴りましたわよ。

「さあ、時間ですわね。お覚悟よろしくて? 馬鹿タレどもをフルボッコですわ!」

 そうして開始した陣取り戦。
 最初に出てきたティピアさん。
 回復役の聖女様がどうやって戦うつもりなのかしら?

「さあ! アーデリー様! 決着をつけましょう!」
「あら、わたくしをご指名ですの? よろしくてよ」

 果敢にもティピアさんが挑んできたのはわたくし。
 一応依頼主であるゼルクス様に先鋒をいただいてよろしいか、視線を送って確認を取る。

「正直なところあなたを回復師にあてるのは惜しいのだが」
「彼女はただの回復師ではありませんわ。思慮の足りない愚者とはいえ、王太子を弄ぶ方ですわよ。殿方が相手では、ゼルクス様とてなにかされるとも……」
「――なるほどな。ではあなたに任せることにしよう」

 ティピアさんは男性を虜にする術があるのか、学園では同学年の男子をほぼ全員味方にして囲わせていましたものね。
 あのティピアさんが男に囲まれてちやほやされるのを眺める日々……今考えても異常でしたわ。
 婚約者がいようがいまいが関係なしで、婚約者を取り巻きにされた女生徒に相談を受けることも多かったわたくしはあまりにも煩わしくて最後の方は「浮気は拳でシバきなさい」と助言しました。
 どうせ政略結婚。
 相手の家の子を産む義務さえ果たせば、愛は愛人と育めばいいのです。
 本当に婚約者と相思相愛なのであれば鉄拳制裁で十分ですわ。
 まあ、そもそも他人の男を漁る感性の方がやはり異常だと思いますけれど。
 ヒールの底を鳴らしながら、渓谷にかかるリングに上がりますとティピアさんも自信に満ちた表情でリングを進んできました。
 手には杖。回復師によく好まれる武器ですわね。

「では、第一回戦……始め!」

 始めの合図が終わる前に、身体強化魔法を発動して合図が終わった瞬間左足でリングに踏み込む。
 筋力増強。質量増強。複数耐性上昇。
 右手の拳をティピアさんの左の頬に叩きつける。
 同時にティピアさんの拳がわたくしの左頬にめり込んだ。

「「!?」」

 お互いに面食らった。
 わたくしは腰に剣を下げているけど使わず、ティピアさんは杖を持っているのに使わない。
 複数耐性を上げていなかったら、なかなかのダメージが入っていましたわね。
 振りぬいた拳の隙間から、ティピアさんがわたくしを睨みつける。
 身を捻り、わたくしから距離を取ろうとするティピアさん。
 もちろん逃がしはしませんことよ。
 右足をさらに奥へ踏み込み、で距離を取ろうとしたティピアさんに詰め寄る。
 体を斜めに傾け、踏み込みの勢いを利用し左足で蹴りを入れた。
 素早く両腕でガードされてしまいましたが、筋力増強の強化魔法を使っているからガードごと吹き飛ばして差し上げましたわ。
 ですが、杖を床に突き立てて勢いを削ぎ、しゃがむことでリングアウトを免れるティピアさん。
 あらあらあら。
 やはりわたくしが出て正解でしたわね。

「なるほど、幻覚魔法ですか。わたくしには通じませんわよ。わたくしの方が魔力量が多いですから」
「くっ」

 観客席がざわめく。
 まあ、すごい。この広範囲を幻覚魔法で包んでいましたのね。
 わたくしが追撃していたら、ティピアさんの幻覚魔法で広く見えていたリングから、勢いのまま飛び出しリングアウトになっていたでしょう。
 彼女の狙いはわざと攻撃を受けて、敵をリングの外に追い出すことだったようです。
 姑息ですわね。

「アルゼン王子を誑し込んだのは幻覚魔法でしたのね」
「ち! 違うわよ! わたしのヒロインとしての魅力よ!」

 また意味のわからないことを。
 ヒロインっていったいなんのことなのでしょう?
 でも考えている時間はないようですわ。
 ティピアさんが杖を構え直して、先ほどとは別の幻覚魔法を発動させる。
 目の前にはドラゴン。
 火炎を吐く、レットドラゴンの幻影ですわね。
 ですが熱が伝わってくるということは、幻覚であって幻覚ではない。
 攻撃を受けるとダメージを負いますわ。

「わたしはみんなを癒すアイドルヒロインなの! 聖なる魔法で痛みを癒してあげるのよ! でも、あんたは悪役令嬢なんだからわたしに負ける運命! わたしと対峙した時点で、負け決定なのよ!」
「あらあら、面白いことを仰いますわね。わたくしはまだ、剣を抜いてもおりませんのよ」

 ですが、剣を抜くまでもないでしょう。
 身体強化にしか魔力を使っていませんから、幻覚魔法を乱発しているティピアさんはすぐに魔力切れを起してしまうでしょうね。

「行きなさい!」

 ティピアさんがドラゴンをわたくしにけしかけてくる。
 幻覚でも質量が設定されている上位幻覚魔法は舐めてかかれるものではありません。
 魔法で強化増強したわたくし自身の質量を纏ったまま、強く踏み込んでドラゴンを通り過ぎる。

「え!?」
「わたくしが幻覚のドラゴンと戦うとでも思いまして? 魔法師は本体を叩くのが鉄則でございましょう?」

 常識ですわ。
 確かに幻覚のレットドラゴンとまともに戦えば、わたくしも魔力を無駄に使わなければいけませんし、この剣を抜く必要も出てきますが――。

「[連拳華・羽搏き]!」
「ひっ!? きっ、うっ! あ! ぎゃ! きゃああああああ!!」

 最初は二、三発ですが、物理攻撃スキル[連拳華・羽搏き]はその名の通り両手の拳を振るうごとに殴る回数を倍増させ、自分、または敵を天空へ浮かせてゆく。
 ガードしても無駄ですわよ~!
 おーっほっほっほっほっほっほ!

「ぐふう!!」
「他愛もございませんわね」
「しょ、勝者、アーデリー・ミールス!」
「ティピア~~~!」

 アルゼン殿下の悲痛な悲鳴。
 リングの上で気絶した聖女様のお迎えである王子様が来られるみたいですし、わたくしは雇い主の陣地に戻りましょう。
 どうせこのあとは消化試合ですもの。

「お帰り。まさか幻覚魔法の使い手であったとは。あなたの言う通りにして正解であった」
「そうですわね。失礼ながらこの中であの幻覚魔法に対処できたのはわたくしかゼルクス様だけだったでしょう」

 魔力量的に。
 それにしても“癒し”が幻覚だなんて、違法薬物を麻酔と言い張るようなものですわ。
 とんだアイドルヒロイン様ですわね、気持ち悪い。

「ところで、剣はなぜ使わなかったんだい?」
「ッ」

 急にゼルクス様のお顔が近づいてきたので、思わず押し返してしまいました。
 そうですわ、ゼルクス様が先ほどわたくしに対して「求婚中」などと言っていた件も後ほどしっかりご説明願わなければいけませんわね。
 ですが、その前にゼルクス様の質問にお答えしましょう。

「この剣はお母様の形見ですわ。わたくしが好敵と認めた者にのみ抜くのです」
「ほう。さすがはイルマル侯爵家のアサナ様ご息女。ぜひこの陣取り戦が終わったら、結婚を前提に決闘をしてほしい」
「!」

 そう言ってゼルクス様はわたくしの前に跪く。
 いえ、それだけではなく、左手の甲に口づけまで――!

「ほ、本気ですの」
「もちろん」

 我が家も母の実家も陣取り戦常連。
 だからでしょう、わたくしは強い殿方でないと胸が高鳴ることはない。
 それなのに、跪いて手の甲に口づけられただけでこんなにも胸がときめくなんて……!

「わかりましたわ。その決闘お受けいたします」
「必ずあなたを切り伏せ、その剣を引き抜かせてみせよう」



 あ、陣取り戦はオルドリオ王国が勝利しましたわ。
 当然ですわよね。
 アルゼン様の支持率が貴族からも平民からも急降下すると思いますが自業自得ですわ!
 わたくしはゼルクス様との決闘の日取りがつくまで、冒険者として自由に生きますわよ~~~!




 終