それは、ほんの数ヶ月前までは耳に馴染んでいたはずの声だった。
弾かれるように振り返れば、案の定かつての恋人だった光司くんが、すでに五メートルほどの距離にいた。
それに気づいた瞬間、僅かに震える指が110番じゃなくて志貴くんの番号を呼び出していて、足は反射的に地面を蹴る。
登園ラッシュや降園ラッシュの時は賑やかなこの通りも、夜になれば人通りが少ない。
今も、通りかかる人は誰もいない。
耳元では虚しく響くコール音。
その、何コール目でだっただろう。
「── 待って!何で逃げるの」
持ちうる限りの力で走ったつもりだった私は、呆気なく彼に肩を掴まれてしまった。
未だ無機質なコール音を響かせたままのスマホは、振り返る前にそのままそっとバッグにしまう。
……きっと、志貴くんなら気づいてくれる。
こんな状況なのに、どうしてかそう信じられた。
「……光司くん……。どうしてここに?」
震えないように意識して、少しだけ息を切らしながらにこりと笑顔を向ける彼と向き合って、努めて冷静な声を出した。
この人は、こんな風な笑い方をする人だったっけ……?
私はこの人と、どんな風に向き合って会話していたっけ……?
「連絡するなとは言われたけど、会いに来るなとは言われてない。なのに家に行ってもいないから。なら、職場の近くで待つしかないだろ?」
……確かに会いにこないで欲しいとは言っていない。でも、それは連絡してこないでと言った時点で同義だと分かるのでは……?
だけど、彼がそんな屁理屈をこねるような言い分を盾にして家にまで行っていたことに、幾ばくかの空恐ろしさを覚える。自宅にいないからと職場の近くで待ち伏せしていたことにも、違和感を感じた。
志貴くんの万が一は、正しかったのだ。



