あれは勉強のことじゃなかったんだ。
それに気づいたのは、私がスマートフォンでいろんなことを調べ始めた中学生の頃。
学習能力に限らず、協調性だったり、コミュニケーション能力に欠けたものも当てはまること。
「学校でいろんなことがあっても、お友達と上手に関われなくなっても、アルバイトで怒られちゃっても」
するとお母さんはゆっくりと、口を開く。
「それでも桜乃は“やめること”だけは絶対しなかった。誰もがするように弱音を吐いて休憩することはあったとしても、
いつだって歩くこと自体をやめようとはしなかったね」
ひとつひとつを語りかけながら、我が子を誇りの眼差しで見つめてきた。
「ねえ、これって恥ずかしい?もしこれを“恥ずかしい”って言える人間がいるのなら、
お母さんはそんな人たちのほうが何百倍も恥ずかしいと思ってる」
手を引いてくれた男の子がいた。
ひとりだけ、私の恥ずかしいと思っていた部分を“良い部分”だと言ってくれた子が。
歩幅を合わせてくれて、ときには一緒に立ち止まって。
そんなふうに一緒に歩いてくれる子が、いたの。



