その悲惨な事故から一年が経ち………二年が経ち………やがて詩織の十三回忌も過ぎた時、僕は三十五歳を迎えていた。


あれから何年が過ぎようと、僕が詩織の事を忘れるなんて日は一日だって無かった。けれども、この長い年月はまるで荒野の様に荒れていた僕の心をいつの間にか随分と穏やかに慣らしていってくれた。


たとえ悲しみのどん底にいようと、生きていれば腹も減るし、眠くもなる。そういう何気無い日常の暮らしを重ねているうちに、深い悲しみもいつしかゆっくりと薄められていく。


それはまるで、パレットに落とした原色の絵の具にゆっくりと少しずつ水を混ぜて薄めてゆくようなデリケートな作業………


本当に深い悲しみは、乗り越えるのではなく慣れるものなんだ。



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