全編の序章・プロローグ/猛る女の伝説
その1


東京北部と埼玉南部が隣接し合う、一級河川T川に沿った両都県境一帯…。
この地は、かの昔から気性の激しい猛る女達が生まれ、住み着くという風土が現代まで脈々と築かれてきた。

埼玉県K市最南端に位置するT川某河川敷の通称”火の玉川原”は、その昔、愛する男を巡って、女たちが命を懸けた決闘の場として、地元住民には周知されていた。

また、同市の由諸ある逆髪(さかがみ)神社は、近年、恋しいカレシを他の女から奪い取る願いが叶う女念成就の聖地として、全国から多くの女達が参拝に訪れていたのだが…。
そのそもそもたる由来もまた、この地に伝わる猛る女にまつわる激烈なルーツを擁していた。

それは江戸時代初期…、この地に暮らすある若い美貌を持つ女が、愛した妻子ある男をどうしてもあきらめきれず、その男を女房から奪う祈願をかなえるため、毎夜、憑りつかれたように、凄まじい形相でこの神社の石段を裸足で往復、百度参りに没頭していたのだが…、ある嵐の夜、女の頭上に突然、稲妻が落ちた。

それでもその女は、ちりちりに焼け焦げた髪の毛を逆立てながら、最後まで祈願の百度参りを遂げ、翌年、愛する男の妻が病死すると、アタマに大やけどを負った女は愛する男の後妻に収まり、その情念を全うさせたという言い伝えから、逆髪神社という呼称を現代まで遺してきたのだ。


***


この地で生まれ育った住人は、誰もが親や近所の大人から、このような言い伝えを聞き、さらにその子孫へと語り継がれ、この地域はやがて”猛るオンナ”伝来の聖地として認知されるに至ってゆく…。

そんな独自の風土を内包したこの都県境に、現代版猛る女伝説の足跡を刻んだ少女たちがかつて存在した…。

時は昭和バブルがその足音を立て始めた1980年代半ば…。
それはアメリカ西海岸、ロサンジェルスで幼少期を過ごし、高校受験前に生まれ故郷のここ都県境へ凱旋した一人のガタイがでかい少女によって起承される。