3.泣いている君

「あーあもうすぐ体育祭めんどくさ」
「しょうがないよ。イベントなんだから。一年に一度しかないんだから楽しもうよ」

 そう言って優華の事をなだめる。彼は少し太っていて、運動は苦手なようだ。

 あれから、一か月が経って、新しい学級にもそして失恋の痛みにもだいぶ慣れてきた。彼女ともあの以来ちょっとぎこちなかったと思うけど、今は普通に前のように話せるようになってきた。俺は分かりやすい性格だから、きっと彼女も俺のぎこちない態度に気付いていたと思うけど、変わらずに接してくれた。

 そんな彼女の優しさには感謝しかない。そんな優しい彼女だから、きっと今は普通に接する事が出来るんだと思う。

「でもさ。高校生にもなってなんで運動会もどきみたいなのをしなければならないんだよ。それにこの障害物競走だって、毎年変なものが出てくるって有名だぜ。去年なんか箱の中に入っている動物当てだったし、どう考えても主催者の中に性格の悪いやつがいて、そいつの嫌がらせとしか思えねえよ」
「確かに今年が何が来るか不安だね。まあ障害物競走だけじゃないじゃん。二人三脚とか、クラス対抗リレーとかもあるんだし」
「そんなのイケメンがキャーキャー言われるだけだろ。どうせ。はーあもうすでに憂鬱だよ、俺は」

体育祭は毎年五月の終わりに行われる。新しい学校や、クラスに馴染めるよう、または三年生は最後の一年を楽しめるようにという計らいらしいのに、それを嫌がらせ扱いされては考えた奴もたまったもんじゃないだろう。

「さてと、愚痴はそこそこに俺は合唱部に向かうわ」
「いってらっしゃい―がんばってー」

 優香は歌うのが好きで合唱部に入っている。男子にしては声が高い彼はテノールパートを任されるらしい。彼とはあの入学式のやり取りからすっかり友達になって、今ではよく行動を共にするくらい仲良くなった。

 入学式ではこのクラスでやっていけるか不安だったのに、ふたを開けてみれば案外なんとかなるものだな。他にも話しているうちに意気投合して何人か連絡先交換したし、こうしてみると心配だったのは最初だけだったな。

 俺もその背中を見送ったら美術室に向かった。

「失礼しまーす」
「お、いらっしゃい。葉山君。そのうちみんなも来ると思うから」

 美術室に行くといつも早いのは部長と、熊田先輩と東雲さんだ。部長は相変わらず日がよく当たる所で油絵を描いている。そして、熊田先輩は黙々と机にマットを広げて木を彫っている。

 相変わらず彼女のやっていることは職人芸だ。とてもマネできる自信がない。この前は木の林檎を作っていた。木で彫って、綺麗に色付けされていてまるで本物の林檎のようだった。今彫っているのは市の展覧会に出すらしい。

 雪蛍さんって人はいつもだいぶ後から来るし、柚月君は来る時とこない時がまちまちである。たまに家で書きたい気分の時は来ないらしい。彼も彼で最近プロの人と契約の話をしたと言っていた。俺より年下の一年生なのに凄い人だ。もうプロの事務所と契約を結んじゃうなんて。

 彼は意外と集中モード以外の時は話しかけたら気さくに話してくれるし、質問にも答えてくれる。別に誰かと話すのが億劫とかそういうわけではなく、ただ一人でも平気なタイプなだけらしい。

 だんだんこの美術室も、居心地の良いものに変わってきた。

 メンバーはちょっと個性が強いけどみんないい人だし、それにここなら――彼女と同じ空間を過ごす事が出来る。それに、絵の事を理由に話す事が出来る。そんな事を考えている俺はずるいやつなのだろうか。

「あれ、なんか真里ちゃん嬉しそうじゃない。何かあったの?」
「えへへ、彼氏が運動会の日に来てくれるって」

 その言葉に自分でも驚くくらい大げさに反応してしまったと思う。でも、みんな作品を描いたり、話すのの夢中で気付いていなかった。良くないことだと知っていながらも、描いてるふりをして熊田先輩と東雲さんの会話に聞き耳をたててしまう。

「そっか。運動会土曜日だもんね。それじゃあ本番は頑張らないとね」
「うん。かっこ悪いところは見せられないよ!」

 熊田先輩は三年生だ。この前の部長にもだけど、彼女が上級生にため口でも咎められないのは彼女の愛嬌があるから許されているのだろう。

「本当に真里ちゃんって彼氏のこと好きね」
「うん!! 私と彼氏は愛し合っているからね」
「はいはい、惚気はいいから」

 その言葉でまた胸が痛くなる。彼女の笑顔はキラキラと輝いていて、ああ恋しているんだなって分かった。

 好きになっちゃいけない人なのに、その気持ちは簡単には消えてくれない。

 今までも恋をして敵わなかったことなんていくらでもあったけど、これほど苦しくはなかった。真里さんへの失恋も慣れたと思ったのにやっぱりそんな事はなかった。

 もし魔法があるなら使いたい。そして、この恋心もあの時の記憶もなかったことにしたい。そんなことできるわけがないけど。それほどに今は彼女を見るのが苦しかった。