「寒くないか?」

 彼は静かにつぶやいた。彼の吐いた白い息が空気に溶けてなくなっていく。彼の後ろに見える空はかすかにオレンジ色が残っていて、彼の横顔が薄ぼんやりと浮かび上がっている。口元までマフラーで顔をうずめているので表情はよく分からない。

「ちょっと…寒いかも」

 駅のホームには私と彼のふたりしかいなかった。彼は私が座っているベンチから少し離れたところに立って電車が来るのを待っていたのだが、おもむろに私に歩み寄り、ひとつ席を空けて私の隣に座った。少し迷っていた様子でちらちらと横目で私を見ていたかと思うと、さっと素早い動作で腰を浮かせて私の真隣に身体を移した。

 しばらく互いに無言で座っていると、いつの間にかとっぷりと日は暮れ、ホームの蛍光灯の光が私たちを照らし始めた。

「手…つないでもいい?」

「え?」

 唐突な彼の言葉に私は驚いて彼の横顔を見た。自分からそんなことを言う人ではないと思っていたから。

「やっぱなんでもない」

 彼は恥ずかしそうに横を向き、マフラーに顔を深くうずめた。その姿がかわいくて、私はクスっと笑った。

「いいよ」

 私は左手を差し出し、彼の右手を握った。握り返してくれた彼の手は大きく骨ばっていて、そして温かかった。

「冷てぇな、おまえの手」

「私、冷え性だから」

「そっか」

 彼は自分の指を私の指に絡めるようにして握り直し、自分のコートのポケットに入れた。

「あったかいね、手」

「今だけ、おまえのホッカイロになってやるから」

「うん」

 遠くの方から電車が近づいてくる音が聞こえてきた。

<まもなく2番線に電車が参ります。危ないですから…>

「そろそろ行かなくちゃね」

 私が立ち上がろうとすると、彼は手に力を入れてそれを制した。

「どうしたの?」と言い終わらないうちに、彼の唇が私の唇に重なった。軽く触れ合うような、幼くて優しいキスだった。一瞬のことで理解が追い付かないうちに、ホームに電車が滑り込む。

「早く行けよ」

 ポケットの中でつながれた手は、簡単にするりとほどけてしまった。

「…うん」

 開かれた扉の中に足を踏み入れるとすぐに扉は閉まり、電車は静かに動き出す。私は振り向くことができず、扉に身体を預けた。彼の体温が残る左手の人差し指で、唇をそっとなぞった。