この恋がきみをなぞるまで。






約束していたオープンキャンパスに参加したり、昴流が合宿でいない間に日和さんと近場に旅行に出かけたりと、充実した夏休みを過ごした。


9月になってしばらくしたころ、授業中に恵美さんから着信が入っていた。

放課後まで気付けずに、何となく嫌な予感がしてすぐにかけ直すと、先生が亡くなったと告げられる。


通話を終えたあと、しばらく動けずに椅子に座っていた。

机に頬をつけて、ぬるい風を受け止める。


先生は、苦しくはなかっただろうか。

最後に会ったときの先生の姿を思い出して、他にももっと伝えておけば良かったと奥歯を噛む。

言葉では足りないほどの気持ちと恩があったのに、その半分も伝えきれてはいない。

城坂くんにもきっと、このことは伝わっていると思う。


通夜と葬儀は先生の自宅で行われ、どちらにも参列した。

わたしが小学生のころに高校生で、先生に習っていた女性もいて声をかけてくれたし、書道関係の人たちが多く集まっている。

その中には城坂くんの姿もあって、目元は真っ赤に腫れていた。

庭の隅でぼうっと池を眺めている城坂くんに声をかけるか迷ったけれど、その脇を通り過ぎようとしたときに先に声をかけてきたのは城坂くんだった。

数ヶ月振りに聞く城坂くんの声は掠れていた。


「先生、最後何て言ってた」

「最後、って……会ったのは5月だったよ」

「俺もそれが最後だった。何を、言ってた」


池に視線に投げたまま、背中で問う城坂くんに、わたしも背中を向けて返す。

声が、城坂くんではない場所に落ちていくのに、耳はちゃんと、拾っていて。


「あの、筆のことと、それから城坂くんの手紙のこと。あとはわたしがほとんど一方的に話していたから」

「じゃあ、聞いたんだな、全部」

「どうして、あんなことしたの?」


行動の理由までは先生が知る由もなくて、ただ、そこに付随していた事実を語ってくれただけだ。

城坂くんが答えてくれるかはわからなかったけれど、きくと案外あっさりと口を開いた。


「中学のとき、あいつと会ったんだ。正月に突き飛ばしてきたやつ。羽鳥って、言うんだけど。あいつ、俺のことを覚えていて、芭流のことも忘れていなかった。いつか戻ってきたときには、なんて言うから、芭流には手を出すなって言ったんだよ」

「なんで、そんなこと」

「俺はおまえが戻ってくるなんて思ってなかったんだよ。でも、もし、いつか羽鳥とおまえ会うことがあって、危害を加えられることがあったら、俺はずっと後悔すると思った。そしたら、あいつ、言ったんだ」


何を、と問おうとしたとき、城坂くんが振り向いた。

わたしはもう、話の途中からその背中を見つめていて、双眸に射すくめられる。


「俺の周りにある芭流のもの、全部壊せって。意味が、わからなかった。芭流のものなんて何も持っていないのに。たぶん、物じゃなくて、お互いに芭流を覚えている理由をって意味だったんだと思う。あいつが何考えてたかなんて、今も理解できないけど」


芭流、とわたしを呼ぶ声が、こんな状況なのにやっぱり好きだと思った。

泣き腫らした瞳は城坂くんを少しだけ幼く見せて、縋るような声に切なさが込み上げる。


「芭だけど、あれは俺のものだったから。どうしても手元に置いておきたくて。それだけは、守りたくて。大切に、したかった」

「……城坂くんは、わたしのこと、どう思ってたの?」


嫌いだと言われた。

近付くなって。

あのころ確かに、剥き出しの嫌悪感を肌に感じていた。

今更、それに理由があっただとか、隠していた感情があったと言われても、飲み込めない。


「煩わしく、思ってた。嫌いだったし、しつこくて、同情しているような瞳が憎らしくて、でも、本当は」


優しく、したかった。

そう口にして、城坂くんはわたしから目を背けた。


「最近また、この辺うろついてるらしいから。ここ出たら真っ直ぐ帰れよ」

「待って、あの手紙はどうするの」

「芭流の好きにしていい」


言い残して去っていく城坂くんに、わたしはまた手を伸ばせない。

引き止められても、繋ぎ止める言葉が何も用意できていなかった。