この恋がきみをなぞるまで。



一頻り話し終えて、もうひとつ大切なことを切り出そうとしたとき、先生が不意に咳き込んだ。

痰の絡んだ苦しそうな咳は激しくなっていく。

お茶を飲んでもらうと少し楽になったようだけれど、咳が治まると疲れた様子で横になりたいと言った。

細く軽い体を支えて布団に横たえると、先生はいつかの恵美さんのように、軽く添えていた左手に触れる。


「どうした、この手は」

「わかるの?」

「わかる。芭流、どうした」


繰り返しているだけなのに、すべて響きがちがう。

伝えることをまだ少し躊躇してしまうようなことを、そっと、引き出すような。

やさしい人のそばにいると、自分もそうであるような気がしてくる。

やさしい人に、やさしさを分けてもらって、自分もそう在りたくて、やさしくなりたいと願っている。


「お父さん、家にいた最後はもうわたしのこともわからなくなっていて……」


気付いたときには、起き上がれないほどの痛みで倒れていた。

強く引っ張られた気がするし、何かで背中を強く打ち付けた記憶もある。

ただの打ち身ではなく、腕神経叢が損傷していると言われても、理解はできないまま外科的な治療やリハビリをしても尚、麻痺は残ることになった。


「で、でも、案外動くし……ほんとうに、へいきで」

「芭流」

「痛くなんか、なくて」

「痛いときは痛いと言っていい」


左腕をそっと労るように摩る先生の手にこれまでずっと、何があっても堪えてきた涙が落ちる。

泣きそうになることは何度もあった。

そのたびに堪えなきゃって必死で。

泣いたら弱くなるって、弱いと自分を守れないって、思っていたから。


「守ってやれなくてすまなかった」

「なんで先生が謝るの?⠀自分のことは自分で守らなきゃ」


だって、そうでしょう?


「……守ってくれる人なんていないって、言ってた」

「誰がそんなことを」

「わたしの……」


今も刺さって抜けない、棘のひとつ。


「たいせつな、人」


城坂くんの顔が浮かんで、ぼやけて、消えた。