美馬を好きになったのは、高校一年生の時だ。
 部活が一緒で、声をかけてくれたことが始まりだった。
 ただ普通に会話しているだけだったし、ラリーを続けることだって当たり前のようにやっていた。
 いつも通り、ペアで練習して部活を終える。
 それだけだ。
 しかし、ある時から部長とやるようになった。
 美馬は部長とラリーをして、俺はほかの部員とやった。
 最初こそはよかった。
 最初だけはよかった。
 不満に変わった。
 不満でしかなかった。
 なんで、俺とラリーをしてくれないのか。
 なんで、俺はこいつとラリーするのか。
 つまらない。
 楽しくない。
 美馬に言った。
「一緒に練習しようよ。俺、美馬とやった方が楽しいし」
 これが、恋心とは知らない俺は心に抱えた違和感に対して無視を決めていた。
 だけど……。
「あー、今日はよくね?いつも一緒にやってるし、たまにはペア変えたいじゃん?」
「なんで?」
「なんでって……」
「だって、いつも一緒だったし……」
 ムカついていた俺は今日も一緒がいいなんて言えないで言葉を濁すだけ。
 ムカついていただなんてあとから気づいたのだけど。
 戸惑っていたこともまた後から気づいた。
「一緒だからこそだろ?たまにはほかの人とやらないと刺激にならないし」
「俺じゃ刺激足らずかよ」
「そういうわけじゃない。ってか、ちょっと意味深だな。やめろよー、そういうの」
 ふざけた口調でそういった彼に俺は怒れた。
 この時はすぐに怒ってるって自覚した。
「ふざけて言ってねえし!まあいいわ。俺もほかのやつとやるから。次の練習試合ボコボコにしてやるから」
「お!いいね!俺もまじで勝ちに行くわ!」
 部活が終わり、家に帰ってみれば、心の中にある違和感、モヤモヤッとした気持ちについて考えていた。
 俺は、なんで怒れるのか。
 なんでこんな感じなのか。
 楓にも感じたことない気持ちがぐらぐらと動いていた。
 親に相談するなんて絶対に嫌で俺は、スマホでこの気持ちについて調べた。
 ただの友情だろうと思っていた。
 気がおかしくなっただけだと思っていた。
 風邪でも引いたんじゃないかって思った。
 でも、違った。

 同性愛。

 ネットで調べてピンと来たのは同性愛という単語だけ。
 だけど、自分がそういう人間だとは思えなかった。
 だって、小さいころとかクラスで好きな人の話になった時、大抵女子を選んでた。
 みんながそうだった。
 俺だって…………。
 あれ?俺は、確かに、女子を選んだはずじゃ……。
 違う。選んですらなかったんだ。
 周りからは恵まれた容姿をしていると言われて、聞きたくないとか、ぶっちゃけこのクラスで好きになる人はいないだろ?とか。そんなことを言われた。
 もし言うことになっていたら俺は女子の名を呼んだだろうか。
 いや、俺はその男子を選んだかもしれない。
 クラスに好きな人なんていないだろ?そんなこと言われて俺は答えたかった。お前だよって。
 お前が好きなんだよって。小学生の頃も中学生の頃も。好きになった人に言いたかった。
 ……そうか。
 俺は、同性愛者だったのか。
 女子になりたいわけでもなく、ただ男が好きだったんだ。
 知りたくはなかった。
 知らなくてよかった。
 こんな感情、忘れてしまいたかった。
 忘れるべきだと思った。
 だけど、気づいてしまったその感情はもう忘れられないし消せない。消えない。
 答えが出てしまった。
 今までモヤッとしていたものの正体を知ってしまった。
 もし、これを彼に伝えたらどうなるだろう。
 美馬に伝えたらどうするだろう。
 美馬は嫌がるだろうか。
 嫌に決まってる。
 こんなこと言われたら美馬は不快感を露にするだろう。
 隠せばいい。
 隠し通せばいい。
 どうせ、美馬だって気づかないし、想わせるようなことは言わないのだから。
 ただ勝手に嫉妬して失恋するだけ。
 それだけでいい。
 むしろ、それがいい。

 練習試合の日、俺は美馬とあたった。
 だけど、コンディションが合わないのか俺は最初から失点を繰り返した。
 体が動かないし、動いたときには遅い。
 いつもはしないようなミスをして、二セット取られた。
 5ゲームなのであと一セット取られれば負けだ。
「おいおい、どーした?いつもならすぐポイント先取する癖に……。なあ、神田」
「確かに、いつもの調子ではないね。大丈夫?」
「……まあ、大丈夫。これからだから」
「ほんとか?俺、吉沢が本気で来てくれないとやる気ならないんだけど」
「大丈夫だって。油断させる戦法だから」
「だとしたら、今、言っちゃってるけど?」
「良いからやるぞ」
 サーブを打ち込む。
 だけど、ネットに引っかかり、もう一度。
 今度は入れることができて美馬は本気のストレートを打ち込んでくる。
 来るだろうとは思っていたけれど、まさかこんな大胆にやるとは……。
 クロスに打ち返すと取れまいと確信したのか、追いかけることはしなかった。
 よって、一ポイント先取。
 二ポイント目は、サービスエース。
 三ポイント目、美馬はクロスに打ち返し、ぎりぎり反応できた俺はストレートに返した。
 ボレーで返した彼は、ネットギリギリを攻めてネットにあたり、これで三ポイント先取したことになる。
「本気でやってないだろ……」
 ボソッとこぼれた。
 こいつが、こんなミスすわけがない。
 さっきのセットの時は確実に決めに来たし、アタックの姿勢を崩さなかった。
 やっぱ、一セット油断させにきてる。
 刹那、胸に痛みが走った。
(このままでは負けてしまうね)
 誰だ。
(声は聞いたことないだろうから不思議だろう。だけどね、僕と君は一度会っているんだよ。いや、二度くらいかな?)
 何が言いたい。
(助けてあげようかと思ってね)
 悪いけど、そんなのいらない。
(言っておくけど、今の君じゃ彼に勝てないよ。彼は、いつも部活外で本気で練習してる。素振りも毎日何百回とやってるし、家帰ってからもすぐに五キロ走ってる。主審をやってる神田次期部長に稽古つけてもらってるからね。最近、彼が神田と仲がいいのは、神田が美馬の本気度に答えようとしているからさ)
 だとして、何を助けようって言うんだ。
(僕が代わりにやってあげるって話を)
 だったら、断る。
(おいおい。君の恋を応援しようって言ってるんだぞ?僕に任せておけば確実に恋は成就する。美馬が君の想いを簡単に踏みにじるように見えるか?そう思ってしまっている君は、美馬のことを何も知らないじゃあないか?)
 うるさい。
(知らないから、怖いんだろう。だから、嫉妬すること、怒ること、モヤモヤした気持ちしか残らないんだろう?)
 お前に何がわかる?俺の気持ちの何を知ってる?
(全部だ。覚えていないかい?君が僕を取って楓にプレゼントしたことを)
 何の話だ。全く覚えてない。
(そうだろうそうだろう。だって、君が取れたのは僕のおかげさ。僕が君をコントロールしてあげたおかげさ)
 コントロール……?
(君が本気でやっているのにミスが多いのは僕がラケットの面をずらしてもらえるようにゼロコンマの単位で動かしたからさ。ボールに追いつけないのは、足に必要以上の負荷をかけたから)
 ふざけんな。何がしたいんだよ。
(今のセットも僕がコントロールしてあげたんだよ。美馬の動きを抑制することで鈍くなった彼から点数を取る。調子が戻ってきたように見えたろう?)
 あいつは、本気出してないだけだ。
(まさか、本気で言ってないだろうな!?自分で、本気出してないって分析したくせに。これが答えだとわからないのかい?)
 ……。
 何も言い返す言葉がなかった。
 こいつは、クマだ。
 楓がクマ太郎と命名したダサい名だ。
(もう一度言う。今の君じゃ勝てない。そして、もし負けてしまえば、今後彼は君とラリーをすることはない。そしたら、君は彼との恋は成就しない。それでも、君は、自分の力でやるのかい?負けるとわかっている試合を)
 ……それでも、俺がやる。俺がやって絶対に勝つ。
 絶対に、振り向かせる。
「おーい?大丈夫?」
 神田の声。
 返事をして、すぐにサーブを打つ。
 が、体勢を崩してしまい呆気なくポイントを取られた。
 すぐに気づかれてクロスに打ち込んできたんだ。
 いつもストレートに返すから移動しようと思ったところを。
 確実に狙いを定めて打って来てる。
 俺よりも何倍も努力してる。
 勝てない。負けるかもしれない。
 クマが言っていたことと同じだ。
 でも、それじゃ弱いままだ。
 まだいける。まだ負けない。
 サーブを打ちサービスエースを狙ったもののストレートに返され、バックで打ち返すと今度はロブを上げてきた。
 なんでこのタイミングで?
 様子を見るために、中ロブで返す。
 が、判断が早かった。
 彼は先読みをしてネット前に来ていた。
 こうなることを狙っていたんだ。
 こうなったら次に来る手はわかる。
 スマッシュだ。
 できるだけ後ろに下がろうとするも彼の方が早い。
 スマッシュを決められ、デュースに持ち込まれた。
(ほら、言っただろう。部内の練習試合なんて相手との心理戦だ。どんな動きを人がするのか。どんな球を出せばどう返してくるのか、部内ならある程度分かるだろう。一年生である今、やることなんて大抵ロブか、リターンを決めるか。だけど、彼は違っただろう。泳がせたところを確実に決めている。君は二セットも取られてなぜ気づけない?神田時期部長だってもうとっくにわかっていたぞ?二年生のレギュラーメンバーも分かってる。次来るのは神田と美馬だって。どうする?このままやってもお前に勝ち目はないぞ?弱点が多すぎるお前に何ができる?)
 息が上がって答えすら出せない俺は黙っていた。
 クマの言う通りだった。
 間違いじゃなかった。
 本当のことだった。
 正しいことを言われて俺は何も言い返せない。
 三か月。
 夏休みに入って練習がハードになってから少し。
 美馬は一所懸命努力して、俺はその間悩んでいただけ。
 その差を今、見せつけられているんだ。
 クマが何かしたところでしなかったとしても負けていただろう。
「負けだ」
(認めるか?認めて、僕に託すか?)
「……そうするよ。美馬が離れていくなんて俺は苦しいし嫌だ。美馬に嫌われたくない」
 そう言うと、魂が抜けたように俺は俺の意思で体を動かせなくなった。
 ただそこにあるだけ。
 その場で見ていることしかできない。
 デュースに持ち込んだ美馬から二点を最速取り上げ、ゲームカウントは一対二になった。
 ストレートで二セット目を取るとファイナルゲームに持ち込まれた。
 二年生の先輩方がすげえと声を上げる中、俺は動けないし声も出ず、俺の力じゃないなんて言えるわけもなかった。
 気持ちいい音が響く中、接戦を繰り広げた末、ファイナルゲームは七対六で勝ち越した。
 ぎりぎりの試合だったというのに、俺は何もしていなかった。
 ただ、見ているだけだった。
「やべぇ……。まじで負けたわ」
 クマはもういなくなったのか、俺は動けるようになっていた。
「アハハ……。まあ、危なかったよ」
 自分の実力でもないくせにそんなことを言った。
「急にえぐいとこ狙うからびっくりした。まさか、あんな球打ってくるとは思わんし」
「俺も結構ぎりぎり」
「まだまだ、吉沢には勝てねえかぁ」
「……なあ、もしもこの試合勝ってたらどうしてた?」
「え?」
「ほら、最初の二セット取られてばっかだったし」
「まあ、あれだけなら流石にちょっと……ってなってたけど。でも、試合はまたやりたいって思うよ」
「友達やめてたりとかは?」
「まさか!?そんなわけなくね?だって、友達ってそれでやめるんなら友達じゃねえし。俺は、一緒に練習したいって思うな。お互い強くなっていきたいじゃん?友達だし」
 それは、安心するには十分すぎるくらいの言葉だった。
 もし、ファイナルゲームにまで持ち込めていなかったら、その時美馬は今と同じようなことを言ってくれただろうか。
 怖い。
 怖くて、苦しい。
 心に残るものがたくさんあるが、次の練習試合までに美馬と肩並べるくらいに強くなっていないといけないと決心した。
 今は、恋なんかより部活だ。
 そうじゃないと、彼と一緒にいられない。
 クマの言うことは正しかったんだ。
 だから、こうやって助けてくれた。
 善意だ。
 あんな風に脅したのは今後のためだったんだとそう思った。
 美馬とうまくいくために。

 夏休みも終わりかけのある日。部活帰り、楓にあった。
「あれ、久しぶりじゃん。どう?元気してた?」
 クラスが違うからかあまり最近は一緒にいたりとかはない。
 部活もあるし、会うタイミングなんてもっとなくなる。
「元気だけど。そっちは?何してたんだ?」
「何って……。これ」
 手に提げているのはレジ袋で、その中には野菜などの材料が入ってる。
「今日、親帰ってこないからさ。なんか自分で作って食べようかなって」
「へー……」
「そうだ!一緒に食べようよ!一人じゃつまんないし、二人の方がおいしいよ!」
 何を言い出すんだろうか。
 彼女は、男子高校生を一人家の中に入れる危険性をまるで理解していない。
「いいよ。俺、部活帰りで臭いし」
「お風呂使う?どのみち帰すつもりないけどね」
 痩せてからというもの、こいつの笑顔はかわいらしいものに変化したがこういう強引なところは変わってない。
「あんま、ほかの男に言うなよ?」
 こいつはいつか悪意ある男にやられそうだ。
「啓にだから言えるんだよー。ほら、行こ」
 引き返してみても彼女は俺の手を掴みそのまま家に連れて行った。
「お前、いつのまに力強くなったんだよ」
「お前って言うな!強くなったんじゃなくて、弱いの!君が!」
 お前だって君って言うくせにな。
 風呂に入れられた俺は、ありがたく汗で汚れた体を洗い流した。
 着替えを用意してくれるらしくそのままその服を着た。
「おー、意外と似合ってる」
「こんな服持ってたんだな」
「持ってたってより、少し寒いときとかに家で使ってるから。どうせ、外に出ないしいっかなって」
 夏だけど冬用の服を借りて席に着いた。
「もう準備できたし、食べようよ」
 ゴムを口にくわえ、髪を束ね、縛ると彼女は、お皿を机に置いた。
「まさか、夏に鍋やんの?」
 卵まで用意され、湯気立っている鍋に俺は驚愕した。
「やってみたかったんだもん。夏に食べる鍋は格別だろうなぁって」
「……」
 こいつ、狂っていやがる。
「え!?何その反応!!おかしいよ!ほら、冬にアイス食べたくなる現象と一緒!」
「そんなことしないだろ」
「するよ!もしかして、したことないの!?」
 ある方がおかしいだろうが。
 え、俺がおかしいの?
 なんで信じられないって顔でみられてんの?
「変なの!おかしいよ!おいしいのに!」
 どうやら、彼女の価値観では俺は異常者のようだ。
「ほら、絶対においしいから食べてみたまえ!!」
 野菜も肉も皿に入れて渡してくる彼女。
 渋々、口に頬張ってみるとそれはそれはなんとも言えないおいしさが口の中に広がった。
「おいしい……」
「でしょ!!ほら、間違ってないんだよ!鍋を夏にやるのは!!」
「確かに!!まじでおいしいよ!」
 きっと今の俺は洗脳されているのだろう。
「これで太ったら意味ないな」
 これは、誰が言った言葉だろうか。
 自分だ。自分が言った言葉だけど自分の意思じゃない。
 クマなんだと遅れて気が付いた。
「ちょっと!!太るまでは太ったって言わないって言ったくせに!」
「いつの話だよ」
「言った!幼稚園卒園前にちゃんと言ったくせに!」
「あー、はいはい」
「適当に返さないでいただきたいんですが!!」
「太ってもどうせ変わらないだろうしいいけどさ」
「そしたら、太ったっていじってくるじゃん!」
「実際、今、太ってるよね」
「はぁ!?」
「冗談だよ」
「嘘だよ!私、気にしてたのにそれ言うなんて最低だ!」
「気にしてる人が今何をしているのかわかってますかね?誘ってきましたよね?」
「うっ!!」
 だいぶ、響いてる。
 だけど、俺じゃない。俺が言ったんじゃない。
「あ、明日からダイエットするし!」
「そういっておいて、次の日のインスタにはスイーツの写真をストーリーに乗せるじゃあないか」
「うぅっ……!!」
 オーバーキルだ。
 やりすぎだし、そもそも俺が言ってるわけじゃない。
 離れろよ、クマ。
「ひどい!啓なら夏鍋を良さを分かってくれると思ったのに!」
「言われるのわかってたでしょ?」
「……っ!!」
 顔を真っ赤にして怒るに怒れない彼女の姿は個人的には好きだった。

 時間も時間なので俺は帰ることにした。
 泊ればいいのにと善意で言ってくる彼女に俺は断った。
 クマと話したかったからだ。
(おいおい、泊まればいいのに。彼女の体の感触を理解できるのは君だけなのだから)
「君の思う通りにはさせないぞ」
(まあ、いいさ。君がこれから何をしようが、最後は僕の言う通りに動かなくてはならなくなるのだから)
「お前のせいで、楓は悲しそうだった」
(ああいう女子はあれくらいいじってもなんともない。君が園児の時に優しくしなければあれほど気を許す女子にはならなかっただろう)
「だからって」
(どうせ、これから君はいなくなるのだから安心しろ)
「何言ってんだ。俺は、いなくならない。そもそもお前はなんで喋れる?なんでこんな呪いのようなことができるんだ」
(……呪い、か。ひどい言い方だ。傷つくなぁ)
「答えろ」
(嫌だね。あと一年と少し待ってもらいたいね)
「ふざけんなよ」
(ふざけてなんかないさ。どのみち、どんなルートをたどっても最後にたどり着く答えは同じさ)
「黙れ。お前の目的を教えろ。俺の脳に話しかける理由を、全部教えろ!」
 怒りだった。
 楓を傷つけることが目的ならあのクマは速やかに処分すべきだ。
(僕は処分できない。君の心の中まで読み取れる僕は君の考えがわかる。美馬の考えもね)
「なら、とっくに美馬が今の俺に抱いている感情も全部わかるってんだろう」
(ああ、もちろん)
 処分できないこと、感情がわかることも全部、こいつは何らかの方法で俺たちを操ることができるから。
 操れる時点でとっくに勝ち目はない。
(その通りだ。吉沢啓。お前の未来も全部俺はわかる。今からもう一度楓の家に行こうとしていることも。連絡を取ろうとしていることも)
 全部、読み通りだった。
(だけど、無駄だよ。無意味さ。だって、僕は君のことが操れる。動かせる。このまま楓の家にたどり着くことはできない)
「お前が操るからか?」
(いいや。操っても操らなくても結果は変わらない。僕が操れば確かに家に着くだろう。だけれど、君が楓の家に行くころにはほかの人と会う。どうだ、試してみるか?)
「お前、どこまで知ってんだよ」
(全部。全部わかるよ。君が今、誰と会うか想像したことも。美馬と会えたらなんて思ったんだろう。だけど、知っている身としてはやめとけって言いたいさ。でも、それは俺を信じさせるために言わないことにする。選べ。自分で自分の道を選べ。たどり行く最後の結末は全て同じなのだから)
 怒鳴りたくなる部分もあるが俺は自分に従った。
 クマを成仏させろ、と。
 俺があげたものだ。
 プレゼントしたものだ。
 だけれど、仕方ない。
 また新しいものをくれてやればいい。
 悲しいかもしれない。怒るかもしれない。恨むかもしれない。
 それでいい。俺以外に実害を及ぼす可能性がある前に成仏させる。
 気が付けば、俺は走っていた。
 走って、すぐに伝えようと。
 しかし、そこにいたのは誰でもない。
 クマの言う通りほかの人だった。
「お、お疲れじゃん!今日ぶりだな!」
 なんとなく期待していた彼に出会った。
「美馬。今日ぶりだな」
「ここで何してんの?」
「ランニングだよ。何度やっても吉沢に勝てないからさ。もっと体力つけようと思って」
「……」
「どうした?」
「ああ、いや。すげえ頑張ってんじゃん」
 上手く反応できなかったのは、俺が俺の力で練習試合に勝ったからじゃない。
 全部、クマが出て、クマが語って、クマに頼ったからだ。
「だろ?今度は絶対勝つからな!吉沢!」
 胸が痛い。
 吉沢なんて苗字、やめてほしい。
「なあ、あのさ。今日、勝ったらってやつ覚えてる?」
「あー、言ってた言ってた。お願いするやつだろ?金系はやめてくれよ?」
「もちろん」
 名前で……。なんて、言えなかった。
 すぐに言い出せなかった。
 こんなこと言えば、彼はどんな反応するんだろうか。
 どうせなら驚かせたい。
 意識してほしい。
 それだけでいい。
「……じゃあさ。目、閉じてよ」
「え?待って、超怖いんだけど」
 迷いに迷った挙句……。
「よ、吉沢?」
 目を開ける刹那、俺は抱きしめた。
「え!?」
 キスとかしようかと思った。だけど、そんなことはできなかった。
 嫌われたくないから。
「え、ちょ、なんだよ、急に!おいおい、苦しいって!」
 笑って言う彼に俺は嫉妬した。
 俺に勝ちたいからって。俺じゃない俺に勝ちたいからってほかのやつと練習して、勝とうとして。
 うんざりだ。
 俺は、美馬とずっと練習していたいし、ずっと一緒にいたい。
 なのに、なんでお前はずっと俺から距離を取るんだよ。
 離れんなよ。
 逃げんなよ。
 俺はお前と一緒にずっと一緒にいたいんだよ。痛いんだよ、こんなこと思い続けてると。
 ずっと心は痛いままなんだよ。
 神田と一緒にいるとムカつくんだ。
 イライラしてくるんだ。
 なのに、話しかければ普通に話してくれてさ。やめてくれよ!
 敵対しないで!
 ずっと友達でいたい。
 仲間でいたい。
 そう思う俺の気持ちはきもいか?気持ち悪いか?
 教えてくれよ。
 今の俺をどう受け止めて、どう返すのか教えてくれよ。
「な、なんか最近変だぞ?吉沢、お前まじでどうしちゃったんだよ……」
「名前」
「え?」
「名前で呼んでほしい。俺のこと、吉沢じゃなくて、名前で呼んでほしい。……好きだから」
 本心だった。
 モヤモヤしたままでいたくない。
 諦められない恋心に負けたよ。
 お前のことを一番に考えるのなら、俺はお前に告白なんてするべきじゃない。
 変に考えさせたくはないんだよ、本当は。
 だけどもう、限界だよ……。
「ちょ、お、おお……。わかった。友達だもんな」
 ……友達、か。
「にしても、そんなんでいいのか?コンビニでジュース奢るとかでも別に―――」
「俺は!!」
 友達なんかじゃ嫌だ。
「俺は、俺は……」
 好意としてみてるんだ。
 友達のままは、嫌なんだよ……。
「あ、ああ。わかった。呼ぶよ。啓」
 なんだか、泣きそうだった。
 好きな人に名前で呼ばれる感じ。
 楓とか友達に言われるのとはまるで違う。
「まあ、だけど、ハグされんのはちょっとびっくりだったわ」
「正直、どうだった」
「ビビった。普段そんなことしてこないくせに。クラスでも俺くらいしか話し相手いないだろ?」
 お前としか話したくないんだよ。
 俺は、少し試したくなった。
「もしも、男子の中で美馬のことが好きだって恋愛感情を抱かれたらどうする?」
「え!?な、なに、急に」
「いいから。気になってさ」
「何それ……。えー、あんま考えないけど、でもちょっと無理だよね。人によるけどさ」
「俺みたいなやつだったら?」
「えー……。すげえ、言いづらい」
「いいじゃん。別に」
「啓は、やっぱ友達くらいがちょうどいいよ。話しやすいし」
「も、もし、友達以上になるならどうしてほしい?」
「なんか、やっぱ変だぞ?俺は、それでも友達でいいよ。啓と付き合うなんてもってのほかだし」
「それって、どういう……」
「だから、友達がいいってこと」
 それは、今までの何十倍もの衝撃で返って来た。
 もうだめだ。
 今、このままではこの場で泣いてしまうかもしれない。
 それだけはダメだ。
「そりゃそうだよな。変だな、俺。じゃあな」
 無理やり話を終わらせて俺は、家に帰った。
 部屋に入り、何も考えずベットにダイブした。
 当然だ。
 ただでさえ、周りに同性カップルがいないのだから。
 テレビや漫画、小説の中の話だ。
 現実にある話ではない。
 本当にダメだな。
 嫌われるよりましだとしても今はもう何も考えたくはない。
 考えて壊れるくらいならこのまま終わってしまえばいい。
 今まで美馬に抱いてきた感情全部を忘れてしまえばいい。
 だけど……。
 そんなことできるわけないじゃないか。
 一度抱いた感情をどうやって忘れろって言うんだよ。
(困っているようだね)
「ここまで全部わかってたのかよ!」
(それは、当然さ。君が抱く感情、すなわち恋心は破綻する。今の時代はそんなものさ。まだ同性愛について否定的な人もいるし、それがマジョリティになることはもう少し先の未来の話だ。マイノリティが輝くのは芸術だけだ)
「愛は、芸術じゃないってか」
(そうはいってない。けど、どうする?このままだと美馬はお前に対して不信感を抱いたまま。どうやって関係を修繕するつもりなんだい?)
「……どうしようもない。全部終わった」
 もう何をしても戻らない。
 これから先何度アピールしても変わることない末路だ。
 いらない。
 こんな自分は、いらない。
 逃げたい。
 逃げられるのならここではないどこかに逃げたい。
 きっとこれからも変わることなくこの気持ちに苦しみ続けるのなら。
 終わりにしたい。
(それが、お前の答えか)
「どうせ、あんたはこの体が欲しいんだろ?」
(そうだ。よくわかった)
「わかるさ。それくらい。あんたも楓が好きなんだろ。だから、直接触れたい。人間の体で。意地悪いことするのはそれが理由だろ」
(潔く僕に体を預けないか?)
 答えないあたり肯定したと言える。
「勝手にしろ。俺はもうこんな体いらない……。消えてしまいたい」
 それから俺はクマに体を委ねた。
 全部、クマが俺を動かした。
 夏休みが開けても秋になっても。
 冬になっても俺はずっとクマに体を渡した。
 それから二年生に上がるころ、事件は起きた。
 伊藤が行方不明になったこと。
 クマは何も言わなかった。
 何を問いかけても返答はなかった。
 人の体を使っておいて何も返ってこなかった。
 それから、また花沢が行方不明になった。
 一週間すると佐倉が。
 二年生の二学期のある日。
 佐久間に呼び出された。
「なんだよ、話って」
「少し話したくて」
「学校でも話せるのになんでわざわざ」
「二人がよかったから」
「二人じゃなきゃダメな話?」
「じゃなかったら呼ばないよ?」
 確かに……。
「あのさ、僕、吉沢のことが好きなんだ」
 衝撃以上の何か。
 男子に告白されるのはこういうことなのかと思った。
 もし、美馬に同じようなことを言ったら俺以上に驚くだろうか。
「……気持ち悪いかな。ごめん」
「いや―――」
 言葉は出せなかった。
 クマに体を渡した俺に何かしゃべる権利なんてない。
「気持ち悪い」
「……だ、だよね」
「男に告白されるなんて最悪だ」
「……」
「だけど、俺は佐久間のこと嫌いじゃない。友達のままでいいんじゃないか?」
「……そっか」
 その目は、俺がよく知ってる目だ。
 かなうわけないと再認識している目。
 もう戻れないことを後悔する目。
「しかたな―――」
 クマは俺の体を使って佐久間の肩を押した。
 突然のことに俺は何もできず、佐久間はただ車に撥ねられ頭から血を流した。
 え?は?
 何?なんだよ今の。
 わけがわからない。
 何した?殺した?
 今、佐久間の体を押して車に撥ねさせた?
 意味が分からない。
 なんでこんなことした。
 俺が何をした。
 俺は、何を……。
 ……佐久間を殺した。
(僕に体を預けておきながら何をしているんだよ。勝手に口を開くなんて馬鹿なことを)
「お前がやったのか?」
(当然だろう?だって、邪魔なのだから)
「ふざけんな」
(ふざけてないって。君は美馬と近くにいたいのだろう?だったら、佐久間みたいに一緒に居たがる人間が近くにいては危ないじゃないか)
「だからって」
(あくまで君の意思を尊重したんだよ?それなのに、殺したら話が違うってそれこそ違うじゃあないか)
「お前、狂ってんのか?花沢を匿ったりすぐに警察に連れていくべきだ」
(……君ならある程度想像つくはずなんだけどな)
「お前があいつらを襲ったってことくらいは」
(だよな。だよな。そうだよな。僕は、そうしたよ。だって、邪魔じゃあないか。楓の邪魔をするなんて許せないじゃあないか)
 狂ってる。
 すぐに電話しなきゃ。
「おい!なんで、逃げんだよ!」
(逃げなきゃ捕まるぞ?捕まって、逮捕されたら楓を独占できないじゃなあないか)
「ふざけるな!楓楓っていい加減にしろ!」
(ふざけてなんかないさ)
「ふざけてんだろうが!なんで、殺したまま逃げんだよ!殺すなよ!助けろよ!お前に佐久間を殺す利点があるのかよ!!」
(あるさ。楓の悲しむ顔が見れる。楓は僕のものだよ)
 こいつ、ふざけやがって。
 病院に電話しようとスマホを手に取るもしびれがきてスマホを落としてしまった。
(そんなことしたら、君が捕まる。バカなことはやめろ)
「いい加減にしろ!俺を解放しろ!もうこの体に寄ってくんな!お前の動向を見ていればふざけたことばかりしやがって!!」
(……残念だ。少し眠ってもらおうか)
 鈍器に殴られたように動けなくなった俺はクマが動くように動かされてしまった。
 それから、美馬も殺された。
 クマは確実に俺から友達を消し、楓が悲しむ姿を望んだ。
 俺ではなくクマが得をするように。
 クマの目的は、俺の体を自分のものにして楓と付き合うこと。
 自我を持ったぬいぐるみが俺の精神を殺し、俺として楓の傍にいることを望んでいるのだ。
 逃がさなきゃ。
 それよりも先に、逃がさなきゃいけない人がいる。
 花沢を倉庫から出さないと、いつか殺される。
 いつか、クマが殺す。
 俺が花沢を殺すかもしれない。
 クマがそうやって動いたら俺が殺したことになる。
 最近、気づいたのはクマも四六時中俺を乗っ取ることができないということ。
 だとしたら、俺は今すぐ花沢を解放することができる。
 きっと、クマが動くときは楓がいない時だ。
 だから、いつも楓や俺も学校にいる時はクマが乗っ取って、楓が家に帰るころには乗っ取られなくなるんだ。
 一年近く体を利用されてわかったこと。
 今なら、上手く逃がすことができるかもしれない。
「吉沢……」
 倉庫に入れられていた花沢を解放して、すぐに逃がす。
「このことは俺がもう一度この話をしようとしたときは話をそらしてほしい」
「どういうこと?」
「良いから頼む。このことを誰にも言わないでほしい。もうクマが襲ってくることとかないはずだから」
「でも、確かに、私はこの目で」
「それでもだ。クマが襲ってくるのであれば、警察に言え。多分、無理だろうけど。楓とかと一緒に居ればいい」
 俺は知らなかったのだ。
 楓と花沢は実際仲が悪かったこと。
 その原因に俺がいたことも。
「わ、わかった」
「このまま逃げろ。絶対に、誰にも見つからずに家に帰れ。もうクマが襲うこともない。匿う必要もない。だから、大丈夫」
 倉庫を勢いよく閉めて、花沢を走らせる。
 これでいい。
 こうしないと、クマの言う通りになる。
 すぐに動け。
 これ以上、クマの望むとおりにしたら楓にもほかのクラスメイトにまで危害が及ぶ。
 クマは本気で人を殺す。
 邪魔だと思えば、自分の理想から遠ざかるくらいなら、誰でも排除するはずだ。
 その前にクマを排除する。
 確実に、徹底的に。
 また誰かが死ぬ前に。
 だけれど、クマも頭が悪いわけじゃなかった。
 俺が、逃がしたことにすぐ気づき、花沢にも探りを入れたらしい。
 その場で、嘘をついた花沢だけれど、その嘘はすぐにバレたようだった。
 見破ったクマは花沢をすぐに殺した。
 そして、俺も。
 楓の体を使って花沢も俺も殺した。
 楓を利用したのは服従してもらいたいからとかじゃない。
 クマがいないと生きていけないと思わせるただそれだけでよかった。
 そのはずなんだ。
 だから、クマが俺を襲った時、ありえないと思った。
 俺がいないと人間として触れることも独り占めすることできないのだ。
 ポケットにあったナイフで刺すことはできなかった。
 クマが俺の体に制御をかけるから。
 幼馴染の女子を刺せないから。
 そして、一番大きかったのは、人殺しの俺が生きている意味なんてなかったから。
 美馬もいないこの世界で、人殺しの俺が恋愛なんて言う大層なことできないから。
 首が閉まっていく感覚に俺は喜びを感じた。
 これが俺の贖罪であり罪滅ぼし。
 良いじゃないか。こんな人生も。
 とっくにクマに身を渡した人間だ。
 こんなことになるなんて思いもしなかったが、十分だ。
 どうせ、恋も何もかも叶わないのなら生きる意味はない。
 無責任に死ねばいい。
 死んだらいい。
 それは、二度目のクマに襲われたときにもそう思った。
 一度目の溝内の時は体を動かすこともできなかったが、二度目はそれ以上に思うことがあった。
 もしも、楓がこれから生きていく中で、クマの弊害がいつまでもあり続けたら。
 俺以上に苦しい思いをすることになったら。
 それだけはせめて、やめてほしかった。
 考えたくなかった。だけど、クマは絶対にやる。
 ここまで人を殺してきた。
 花沢さえも殺した。
 クラスメイトを殺してきた。
 今更倫理がどうのなんて言うわけがない。
 たとえ、今日見たクマをみる彼女の目が恋心の目だとしても彼女を解放してあげたい。
 彼女を救いたい。
 クマから。
 俺がプレゼントしてしまったばかりにこうなってしまったのだから。
 何もしていない人たちさえ殺された。
 俺のせいでこうなった。
 彼女が欲しいと望んだぬいぐるみを上げてしまったばかりに。
 ……俺はただ彼女の喜ぶ姿を見たかっただけなのに。
 許してなんて言わない。
 ただ、謝らせてほしい。
 こうなってしまったこと。
 今から君の胸を刺すことを。
 クマにも直接攻撃出来たら何かしら動きがあるはずだから。
 胸を刺して力尽きた俺の視界はかすんでいた。
 ぼやけていて暗い。
 もう終わりにしてくれ……。
 何もかも十分だ。