どのくらい経ったのか、言緒さんが脇息から身体を起こしたとき、わたしは煙草の火を差し出そうと半分腰を浮かせました。
しかし、男性の鋭い視線にぶつかり、座り直します。
言緒さんは左の袂を探り、次に右の袂を探ります。
あちらこちらと自分の周りに視線を走らせる姿を、わたしは包みをきつく抱いて見守っていました。

ようやく灰皿の陰に燐寸を見つけ、手のひらで灯火を包むようにして火をつけました。
放り出された燐寸箱が転がる音と炎の音、頭薬の燃える匂いがします。
燐寸棒を大きく二度振って火を消し、灰皿に投げ捨てると、からん、と音が立ちました。
盤にかからないように上を向いて吐き出した煙が、天井に向かっていきます。
言緒さんは、獰猛な瞳でそれを見ていました。

指す、と感じました。
その直後、言緒さんは煙草を灰皿に押しつけて、右手を駒台へと伸ばしました。
眠る子を起こすようにやさしく駒を持ち上げ、反対の手で袖を押さえながら、相手の懐深いところへ指先を伸ばします。
そして、一度しならせるように指先を上に向けてから、盤上に打ちつけました。
硬度の高い音が対手に刺さるようでした。

何が起こっているのかさっぱりわかりません。
わたしは駒の名前さえ全部は知りませんので。
けれど、言緒さんは攻撃したのだと、はっきり感じられました。
斬られるような恐怖が身体の中を走ったからです。

お相手の方は表情を変えず、ゆったりと一本煙草を吸ってから、言緒さんが打った駒を取りました。
よく磨かれた爪が、傾きかけた陽を反射して光りました。
言緒さんは間髪入れず、また駒を打ち込みます。
それも取られました。
次に駒を進めると、今度は下がって逃げられます。

一手指されるごとに、部屋の温度が上がっていくのがわかります。
言緒さんは羽織を脱ぎ捨て、首元もくつろげました。
身を乗り出して盤に向かうその人差し指が、畳の上ですばやく小刻みに動いています。
拍を打つのとも、文字を綴るのとも違う、何かを数えるようなその仕草は、頭の中で駒を動かしているのでしょう。
その呼吸は浅く乱れ、本来生きるために使われるべき力の多くが、より深く思考するために費やされているようでした。
瞳の湖面は凪いだまま、ひと滴の揺らぎもありません。

まもなく、その燃えるような指先が持ち上がりました。
鳥が舞い、敵陣へと斬り込んでいきます。
お相手の方は相変わらず表情を変えませんが、部屋の緊張感は一段と増しました。
そこにいる全員が、言緒さんの指先に翻弄されていました。

わたしはふらふらと表へ出て、そこで深く息をつきました。
着替えは結局男性に預け、おぼつかない足取りで来た道を戻ります。
周りの景色など、目に入っていませんでした。

あの時の胸の内をどう言ったらいいのか。
言葉にするとどれも違ってしまう、焦がれるような、恐れるような、抱えきれない気持ちでいっぱいでした。

廃刀令が布かれて数十年。
刀を持つお侍さんは昔語りの中へと姿を消しました。
しかしこの世にはまだ、刃を交えるような世界が存在する。

皆川言緒とは、そういう世界に住むひとだったのです。