「どういうことでしょう」

言緒さんは袂から取り出した煙草の箱を上下に振り、一本出してくわえました。

「祝言さえ挙げれば、あとは自由にしていいと言われています。だから君も私には気を使わず、好きに過ごしていいですよ」

一生を捧げるというわたしの覚悟を、言緒さんは借りていた風呂敷のごとく、あっさり返して寄越したのです。
そして煙草に火をつけて煙を吐き出すと、また視線を盤に戻してしまいます。

「あの、困ります。わたしはあなたの妻になるために来たのです」

「別に追い出したりしません」

「跡継ぎだって産まなければ……」

「それも心配いりません。できなければできないで、弟もいるので」

「では、わたしは何のためにここにいるのでしょう」

「君はもう十分に役割を果たしてくれました。感謝しています」

駒音が「話は終わった」と言っているようでしたが、わたしは引き下がりませんでした。
縁談が決まってからずっと、口の中であめ玉を転がすように、言緒さんの名をつぶやいてきたのです。
用済みだと告げられたところで、おいそれと受け入れられるものではありません。

「どなたか他に想う方がいらっしゃるのですか?」

わたしの言葉は相当に的外れだったようで、言緒さんは首をひねりました。
咀嚼するように「オモウカタ? おもうかた。ああ『想う方』ね……」とくり返します。

「いえ。特に思い当たりません」

「では、わたしがお相手ではご不満でしょうか」

「それも、特には」

「それならなぜ『明日』なのです? 一日駒に触らないと死んでしまうわけでもないでしょう」

言緒さんはいたって真剣な面持ちで言いました。

「駒に触らない日がないので、死んでしまうかどうかわかりませんが、将棋の勉強は毎日します。私は将棋指しですから」

『将棋指し』と聞いても、すぐに頭が追いつきませんでした。

「ご趣味が将棋だとはうかがっています」

「趣味ではありません。将棋だけでは食べていけませんから家業も継ぎましたが、私は将棋指しです。将棋を指すことが仕事です」

言緒さんの瞳の中には、ランプの明かりとたしかな矜持が灯っていました。

「それは、賭け将棋ですか?」

「いいえ。賭け将棋はしません。新聞将棋に出してもらうのですよ。そうすると対局料がもらえます。新聞社はその棋譜を新聞に載せるんです」