わたしの手は震えを止めて、畳の上に落ちました。
隣の部屋から聞こえる小さな物音は、そこに言緒さんの在ることを示しているのに、ひどく遠くに聞こえるのです。

「あの、言緒さん」

声をかけても返事はありません。
聞こえるのは、かちり、かちりという音ばかりです。

「言緒さん。失礼いたします」

やはり返事がないので、襖を開けました。
そこはお納戸になっていて、板敷きの狭い部屋の壁に、ぐるりと棚が取り付けられてあります。
めったに使わない道具類や古い茶箱に囲まれて、言緒さんは将棋盤をじっと睨んでいました。
すぐそばには、石油ランプや灰皿も用意されてあります。

「言緒さん」

視線は盤に注がれたまま、こちらを向くこともありません。
口の中で何かつぶやいていて、わたしの声は届いていないようでした。

「言緒さん」

少し声を大きくしましたが、やはり変わりません。

「言緒さん!」

将棋盤の上に手をかざし、その視線を遮ると、ようやくわたしを見てくれました。
わずらわしそうな表情でした。

「何をなさっているのです?」

「何って、将棋です」

「明日になさったらいかがですか?」

「なぜ?」

「なぜって、だって……」

わたしが口ごもると、ただ虫の声ばかりが部屋を満たしました。
わたしたちふたりに与えられたのは離れで、母屋の物音は届きません。

「だって今夜は……初夜です」

羞恥に顔を染めながら、吐息ほどの声をもらすと、言緒さんは大きなため息をつきました。
吐き出された空気に混ぜて、こっそり「あー、面倒くさい」と言ったのを、わたしは聞き逃しませんでした。

「めんどう?」

「それは……明日にしましょう」

『明日』というのが翌日を指すのではなく、とりあえず先延ばしにしただけであることはあきらかでした。