「おれ、アイツが『衣奈』って呼ぶのを聞いて、君の名前を知ったのかも……」
「え?」
「ごめん、やっぱり違うかな。自分でもよくわからない……」
由井くんが、立ち止まって両手で頭を抱え込む。
「え、ちょっと、大丈夫……?」
そのままうずくまってしまった彼の肩に手を伸ばすと、なんの感触もつかめないままに、手のひらだけが彼の体をすり抜けた。
「あ……」とつぶやくわたしのことを、たまたま通りすがった生徒が不思議そうな顔で見てくる。
由井くんの姿はわたしにしか見えていない。だから、廊下の途中で立ち止まって宙に手を伸ばしたわたしの行動は、ハタから見ればおかしかっただろう。
突然頭を抱えてうずくまってしまった由井くんが心配だけど、人通りの多い廊下で、ヘタに動くことも話すこともできない。
しばらく見守っていると、由井くんがゆっくりと顔をあげた。
「今ちょっと、なにかを思い出したような気がしたんだけど……。頭が痛くてダメだった。ごめんね……」
しょんぼりとした顔で謝られて、わたしは無言で首を横に振った。



