「ただいま」
「おかえり。どうだった?先生に言えた?」
「それがさ。色々あって」

汗だくの明日香を母親は風呂に勧めた。入浴で少し元気になった明日香は刑事ニセ事件の話を学校に伝えたと報告した。

「うちにも警察から電話がきたよ。母さんはわかったけど、アンタは大丈夫なの?」
「お母さんの顔を見たらなんかほっとした」
「何言ってんの。ご飯にしようか」

いつもはスーパーのパートで帰りが遅い母。今夜は心配して早く帰ってくれていた。明日香は母と一緒に夕食のコロッケを囲んでいた。

「それでさ。私財布を受け取ったんだけど、拾った人が駅員さんに確認したって言うの」
「別に。普通でしょう。それがどうしたの」
「……私のこと。盗んだとか疑ったのかなって」
「明日香。もっと、こう。明るく考えようよ」

事件の事で落ち込んでいる明日香に母は気合を入れた。

「花の乙女がそんなにしょんぼりして。前向きに行こうよ。ね?」
「うん」
「下ばかり向いて。母さんみたいな二重顎になっちゃうよ」
「……」

母の自虐ギャク。しかし元気のない娘。そんな彼女に母は彼女の好物の牛乳プリンを出した。少し元気が出た明日香は自室に戻り勉強を始めた。

好きなラジオを掛けた。そこには元気の良い女性ラジオジョッキーが視聴者からのメッセージを読んでいた。

『ラジオネーム「ファンキー地味子」さんです。聞いてください。私は落とし物を一時的に預かりました。でも拾った人に盗んだと疑われてしまったんです』

その誤解が悲しいという話に明日香は食い入るように話の続きを聞いていた。

『この悩み。いかがですか?祐潤(ゆうじゅん)先生』
『そうですね。これって、本当に疑われたんでしょうかね』

若者の悩み相談のコーナー。明日香の大好きな哲学者、祐潤先生は冷静に語り出した。

『僕、このメッセージを詳しく読みましたが、これって。相手の人は疑ったわけじゃないと思うんですよ』

それよりもファンキー地味子の考え方が気になったと言い出した。

『たぶん。彼女は僕と同じ「繊細(せんさい)さん」なんでしょうね。細かいことを気にしすぎるんですよ』
「そう。それよ。私は繊細なんだわ」

思わず声が出た明日香は、嬉しくてノートの端に『センサイさん』とメモ書きをした。

『他の人は気にならないことも、気がついちゃうんですよ。でもこれって良いことなんですよ』
「良いこと……良いことなんだ」

ラジオの祐潤先生は、細かく説明をした。繊細さんはみんなのミスを見抜いたり、想定外のことまで心配しているので、大きな失敗をしないと語った。

『繊細さんは疲れますが。ファンキー地味子さんのような人がいると、鈍感な人は非常に助かるんですよ』
『でも先生。みんな気がつかないことをするって。なかなか理解されないんじゃないですか』

女性アナウンサーの質問に明日香はごくと息を呑んだ。祐潤は笑い声で伝えた。

『そうですよ。みんな気がつきません。ですがそんなファンキー地味子さんのような繊細さんがこの社会を守っているんですよ』
「……嬉しい。祐潤先生……」

自分の質問への回答に明日香は感動していた。
こうして明日香は一晩で復活していた。



「行って来ます」
「行ってらっしゃい」

今朝も少し早起きの明日香は早めの電車に乗った。案の定、今朝も車内に隙間があった箇所に立っていた。

小柄な彼女はやはり今朝も中央付近に踏ん張って立っていた。
彼女に背を向けている学生服の男子は、天井近くの手すりにつかまっていた。

……これってフローラルさんだ。あ?シャツが。


フローラルと勝手に名付けられた男子高生は、学生服の腰から白いシャツがべろりと出ていた。彼は寝ているようで気にしてなかった。

これを見たクスクス笑いの車内。明日香は彼を隠すように立っていた。

……どうしよう。教えてあげたいけれど、寝てるし。

その時、電車は隣の駅の白石駅に到着した。ここで乗客が乗り込んできた。明日香は自然と押しやられ、フローラルとくっついて立っていた。彼はまだ眠っていた。

やがて電車は発車したが、フローラルは寝ていた。

……よく眠れるな。こんなところで爆睡なんて。

彼のメンタルの強さに明日香は感激していた。そして翌駅の苗穂駅に停車した。乗客がどんどん乗って来た。明日香はフローラルの背にくっつきながら必死に乗っていた。

ここから試練の傾斜である。左手にゆっくり曲がりながら川に架かる橋を渡るのである。今までの線路から橋の線路になる時のガタン!が結構きついのだ。今朝の明日香は耐えきれずフローラルに重さを掛けてしまっていた。

「すいません」
「スースー……」

彼はどんな夢を視ているのだろう。明日香が上を見上げても彼の髪のピョンの寝癖があるだけだった。そんなことを考えているとアナウンスが鳴った。

『大変お待たせしました。間も無く到着、大通り、大通り。足元に気をつけてお下りください』

キキーーというブレーキに明日香は今朝もフローラルに助けてもらった。息を整えるとドアが開き、乗客が降りていった。明日香は先に降りフローラルに背中のシャツを教えてあげようと思い、ホームで待っていた。彼はゆったりとやって来た。

「あの。すいません」
「あ?」
「後ろ。背中のシャツが」
「なんだって?あ……」

明日香はさっと背後に立ち、今のうちに直せと言った。彼は面倒臭そうに直した。

「これでどうだ」
「オッケーです」
「しかし。どうして出たのかな……電車で揉まれた時かな」
「わ。私じゃないですよ」

頭上から聞こえる彼の声。明日香はフローラルの顔を見れずに足早に階段を降りて学校に向かった。



「おはよう」
「どうした。元気になった?」
「里奈。聞いてよ……」

朝のホームルーム前。昨夜のメッセージで事情を聞いていた里奈は、はいはいと聞いてくれた。

「背中のベロンは気にしすぎでしょう?それにそれはアンタだって言ったわけじゃないし」
「それはそうだけど」
「しかもさ。逃げたりしたら。私がそうですって感じになるじゃん。普通で行こうよ」
「そ、そうね」

すると教室のドアがガラリと開いた。

「はいはい。おはようー。日直はどなた?」

今日も暑くなりそうな1日。眉毛を描くのを忘れた公家顔の真智子先生の笑顔でスタートした。



放課後。里奈と駅まで行ったが、彼女とは方角が違う。明日香はサヨナラをして電車に乗り込んだ。この駅は始発。電車はまだ出発しなかった。冷房が効いた車内。二人掛けの椅子の窓辺の席。座っていた明日香は気持ちよく眠ってしまった。

やがて電車が動きだした。それを感じながらも明日香は眠っていた。

……眩しい。でも、面倒くさい……

夕日が顔に当たっていたが、ブラインドを下せば良いが、眠気が優っていた。しかしその眩しさは不思議とすぐに解消された。
やがて苗穂駅に着いた感じがした。しかし明日香はまだ寝ていた。車内のドアが開く音。人の足音。その中で彼女は寝ていた。

こうして降りる駅まで寝ていた彼女は、降りなきゃいけないと思いつつ、寝ぼけていた。


『平和、平和駅です。お降りの方は』
「おい。お前、起きろ」
「……え。ここ平和?」

気が付けば電車は停まっていた。驚きの明日香であったが、隣席の声の主に会釈して電車を飛び降りた。

……危なかった。さあ。帰ろう。


帰り道。信号待ちでの交差点。一番星が光っていた。

……そうだよね。起こしてくれた人がいたから。私はラッキーなんだよね。

ラジオの話を思い出し。明日香は前向きに考えようと思った。そんな決意で家に帰ると警察の車が停まっていた。

「あの。ただいま」
「あ。明日香。警察の人だよ」
「ど、どうしたの……」

ビビっている母に明日香まで腰が引けていた。居間にはあの時の刑事の女警官がいた。

「明日香ちゃん。あのね。犯人を無事に逮捕したの」
「君のおかげだ。それにね」

犯人の自宅を捜査したところ、他にも特殊詐欺をしていたということだった。

「大物の逮捕に署は大騒ぎよ。明日香ちゃんのおかげよ」
「ああ。今後も頼みます。では」
「はい」

警官が去った後。何も知らぬ父が帰って来た。

「なんだ?お前、何かしたのか」
「何を言っているのよ。早く家に入って」
「ふふふ。お父さんおかえり」

出張に行っていた父は事情を聞いて目を向いていた。


「俺が留守の間。そんなことがあったのか」

夕飯時。三人家族は事件について納得していた。

「明日香よ。事件は終わったが、お前、夜道とか気を付けろよ」
「わかってるよ」
「でも犯人は逮捕されたんでしょ。明日香は大丈夫よ」

ここで明日香は最近痴漢に遭うと両親に打ち明けた。

「それ。本当なの」
「うん。手がお尻辺りにあるんで、やめてくださいって言ってるんだ」
「変態野郎が。父さんが一緒に乗ってやれればいいんだけどな」

工事現場の現場監督の父はマイカー通勤。明日香は平気だと笑みを見せた。その時、母が父を見た。

「ねえ。お父さん。男目線でさ。痴漢しない人ってどういう人?」
「そうだな」

父の話では身元がバレそうな男だと指摘した。

「例えば会社の社章のバッチをつけている男とかは、痴漢ができないだろうな」
「なるほど、それって他にはないの?結婚指輪をつけてる人は?」

興奮の母、父は冷静に首を横に振った。

「母さん。それは関係ないな。油断させるためにつけているだけかもしれねえぞ」
「お父さんてすごいね」

明日香に褒められた父は、得意になって自論を展開した。

「後はな。体格の良い男もそうだと思うぞ」

格闘技などのスポーツ選手はちょっとしたことで暴力になってしまうので慎重だと父は話した。

「試合に出られなくなるしな。社会的立場のありそうな奴は電車で痴漢はしないな」
「お父さん!電車に格闘家なんか乗らないでしょう」
「ふーん」

明日香は悩みを打ち明けてスッキリして、自室に戻って行った。

「身元がバレていて、スポーツマン……か」

窓の外は月夜。明るい星。静かな夜。彼女はある人物を思い出していた。



二話 完