文化祭が終わった。
 魔物は現れたが一瞬で生徒会メンバーにより殲滅。生徒達は何事もなかったかのように後夜祭を楽しんでいた。

 いよいよ、ゲームの終盤へと進むはずだ。

 クリス様は今夜のヒーロー。生徒達に囲まれてキャンプファイヤーをしている。
 その間に私はステラと作戦会議をしようと思ったのだが、心ここに在らずの彼女。

「どうしたの?」

 たまらずそう聞いてみると、ステラはハッとして顔を上げ、やっと目が合った。そしてあっという間にうるうると涙を浮かべていく。

「ちょ、ちょっと! 私の前で泣かないでよ! いじめてるって思われる!」
「思いませんよぉ……リディア様が良い子だってみんな知ってるから……」

 ぐすんぐすんと泣き始めてしまったので、ハンカチを差し出すと「すみません……」と受け取るも、拭ってもまた新たにポロポロと涙を流す。今まで友人もいなかったし、泣くくらいなら筋トレしろという方針の家庭で育ったせいで、こういう時の対処法が全く分からない。恐る恐るステラの頭を撫でると、その大きな瞳を私に向けて、「どうしましょう、リディアさまぁ〜」とさらに泣き出してしまった。

「ね、ねぇ! 泣いてるだけじゃ分からないわよ! 何があったの? イベントが上手くいかなかったの?」

 ステラはふるふると頭を横に振る。

「上手くいき過ぎてて……っ」
「え? それがどうして泣くことになるのよ」
「……アラン様、たぶん、私のことが好きなんですっ」

 はぁ?
 頭の中に「?」が目一杯浮かぶ。どういうことだ。両思いなのに、なぜこの子はこんなに泣いているのだろう。そもそもヒロインなんだから、きちんとイベントをこなしていれば、そうなることは分かっていただろうに。

「でもっ! でもっ、それって、私が……ヒロインだから、ですよね!?」

 なるほど。ステラが泣き出した理由がわかった。

「私がヒロインに産まれたから、アラン様の目に止まったんです。それってどんなヒロインだったとしても、私じゃなかったとしても同じなんだと思ったらっ」

 泣いているステラを思いきり抱きしめた。そうね、分かるわ。私も同じよ。だって私たちには、「私たちではなかった時の記憶」があるのだから。キャラクターとして生きている、シナリオを知っている。だから人の気持ちも決まっているんじゃないかって、不安になるわね。

「シナリオ通りなら……わたくしは、死ぬわ」
「はい……」
「でも死にたくなくて足掻いてきたわ」
「……はい。色々変わってて驚きました」
「そうでしょ? 変わったのよ! お兄様のキャラとか全然違うでしょ!」

 抱きしめられたまま、ステラが耳元でクスクスと笑う。涙声だが「確かに!」と笑っている。

「ゲーム画面では語られなかった、知らなかった設定もいっぱいあるわ」

 クリストファー様のこと、とか。

 彼がどんなに国を思っているか。彼がどれほど努力家か。『完璧な王子』としか描かれていなかった彼の、生い立ちから影の努力まで知ってしまった。近くで見ていればいるほど惹かれていく。その気持ちは、私が悪役令嬢だからなのかもしれない。シナリオの強制力で、彼に依存して好きになってしまうのかもしれない。
 
「いつかゲーム補正が効いて、私は死ぬのかもしれない。クリス様だって、私のことなんか……婚約破棄したくなるのかも。でも、今のところ色々変わっていてそれでも世界はまわってるのよ」
「……リディア様」

 いつの間にか私の瞳も濡れていた。それに気づいたステラがオロオロし始めたので、可愛くて笑ってしまう。

「言っておくけど、貴女もゲームのヒロインとは全然違うわよ。それでも好きになってもらえたんだったら、本物なんじゃないの?」
「……っ!」

 ゲームの中のヒロインは、八方美人で可愛くて優しくて、まさに『聖女』だった。でも今目の前にいるステラは、王子様に交換条件を提示して欲望を叶えようとする策士だ。しかも自分が可愛いことを理解して、平気で上目遣いなどの高等テクニックを使いこなしている。
 ステラは涙をゴシゴシと拭うと、「ウジウジするなんて『私』らしくないですよね! ちょっとアラン様に突撃してきます!」と立ち上がって宣言した。

「頑張りなさい」
「それと、心配しなくても、あなたの王子様も『あなた』に夢中ですよ」
「え?」

 ステラは「じゃ行ってきまーす!」と走り去っていった。

 つられて流した涙を拭おうと思ったが、さっきステラにハンカチを渡してしまったと気づいた。すると目の前に、スッとハンカチが差し出される。見覚えのある、猫を被っていた頃の私が、刺繍を施してプレゼントしたハンカチだ。差し出されたその手の主を見上げて驚く。

「クリス様!」
「どうして泣いてる?」
「こ、これは、ステラを叱咤激励していたら、何故かつられてしまって……」

「ありがとうございます」とハンカチを受け取って、さっと涙を拭いたが、クリス様は難しい顔をしている。

「ステラ嬢がアランを選んでいるのは分かる。それが、君は……辛いのか?」
「はい?」
「シナリオとやらはいくつもあるのだろう? ステラ嬢とアランが結ばれなくてもハッピーエンドは訪れるのでは?」

 何を言いたいのかが分からない。何故違うルートを目指すべきだと言い出したのかしら?

「君は……アランのことが好きなんだろう?」

 この人は何を言っているのだろう。あれだけ私に手を出しておいて、私の気持ちを疑うのか。

「確かにアラン様は素敵ですけど、恋愛的に好きとかそんな感情ではありませんわ!」

 ムッとしながら言い返すと、クリス様は苦しげな表情をしていた。
 
 もしかして、ステラがアラン様に取られそうになって、初めて気持ちに気づいたとか?

 ステラの魅力に今頃になって気付いてしまったということ? それで私のせいにして私との婚約破棄を狙っているとか? なんだそれ。結局シナリオが強制力を発揮しちゃうのか。ヒロインの涙なんてすごい魅了効果ありそう。やっぱりこのゲーム鬼畜シナリオ! 悪役令嬢に優しくない! クリス様最低!

「クリス様は、やっぱり、ステラと結ばれたいのですね!」
「なっ!?」
「余計な真似をして申し訳ありませんでしたぁ! 私は嫌がらせなんかせずあっさり婚約破棄して差し上げますから!」

 そう言い捨てて走り出す。

「待て! リディ!」

 クリス様の、ばーか! やっぱり悪役令嬢なんかに生まれてこなければ良かった! 
 今度こそ止まらない涙を拭いながら、私は公爵邸に逃げ帰ったのだった。