「殿下! アーノルト殿下、こっちです!」
「ディア!」


 なぜ殿下は呑気に手なんか振っているのだろう。
 殿下の隣にいるのは、仮面を被ったローズマリー様だ。


「キスは? キスはしたんですか?!」


 私は殿下の側に駆け寄って、ローズマリー様をエスコートしているのとは反対側の腕に飛びついた。
 アーノルト殿下は兜を被ったままだ。
 ローズマリー様は無言で私をじっと見ている。

「殿下、聞いて下さい! その方はアリアナ様じゃなくて、ローズマリー様なんです!」

 ローズマリー様から引き離すために、私は殿下の腕を思い切り引っ張った。ローズマリー様は無抵抗で、彼女の手は殿下の腕からするりと離れる。


「ディア」
「殿下! あの方はローズマリー様なんです! 仮面を被っているから気付かなかったのかもしれませんが、リアナ様は別の場所に」
「……分かっていたよ」


 殿下は兜の奥からハッキリと言った。
 怒っているのか笑顔なのか、今の私からはよく見えない。


「彼女がリアナ嬢ではなくローズマリー嬢だと、初めから分かっていた。だから陛下に頼んで、今日の婚約発表も取りやめてもらったよ」
「えっ?」


 驚く私の肩に手を置いて、殿下はローズマリー様の方に振り返った。私と殿下、そして少し距離をおいてローズマリー様が向かい合うようにして立つ。


「あら……分かっていらっしゃったのですね。せっかく私との婚約発表をして、その場でキスをして頂けると思っていましたのに。残念ですわ」


 ローズマリー様は目元に付けた仮面を外した。
 すると、銀色の長い髪がふんわりと風に揺れ、少しずつ黒に戻っていく。


「さすがに騙されないよ。魔力を持つ者からは独特の香りがするからね」
「ふふ、何だか残念です。でもまだ時間はありますものね!」


 ローズマリー様は笑顔で時計台を見上げる。
 十一時五十分。十二時の鐘が鳴るまで、残り十分だ。