「……殿下、練習終わりましたか?」
「ああ、ありがとう」
「本番は上手くできそうですかね?」
「大体理解できたよ。ファーストキスには勢いだけでなく、心が大切なのだと言うこともね」

 やっと殿下の手が頬から離れる。まるで割れた風船から空気がもれるように、私の体から一度に力が抜けた。そして殿下に促されるままに、もう一度向かい合ってテーブルに付いた。
 お互いにどことなく気まずくて、言葉を交わさないまま何度もティーカップに口を付ける。

 しばしの沈黙の後に殿下の口から出た言葉は、予想外のものだった。

「ディア、これまで色々ありがとう。今日でレッスンは終了にさせて欲しい。君にあまり長く故郷の店を空けさせるのも良くないし、私も自分の呪いは自分で対処しようと思っている。もちろん君への報酬はきちんとお渡しするから安心してくれ」

 突然のレッスン終了の申し出に、私は面喰う。

「殿下……なぜでしょうか? 私は殿下のお誕生日までお手伝いしたいです。殿下の呪いが解けたかどうか、最後まで見届けないと安心できません」

 元はと言えば、恋愛レッスンなんてただの口実。恋占いの結果を偽って伝えてしまったことで、私はアーノルト殿下の命を危険に晒した。それを何とか解決するために、恋愛レッスンなどとおかしな口実を付けて王都まで付いて来たのだ。

 今このタイミングで故郷に戻れと言われても、「はいそうですか」と帰るわけにはいかない。

「大丈夫。リアナ嬢ときちんと向き合って、これからのことを話し合うことにするよ。結婚はゴールではなくスタート。私とリアナ嬢もゼロから関係を積み上げていこうと思う。ディアを巻き込まず、初めからそうすれば良かった。リアナ嬢にキスしてもよいかどうか、直接聞いてみるよ」
「いやいや殿下! リアナ様とはキスをしないで下さい!」
「なぜ?」
「え? だって……」


 リアナ様とキスをしたら死にますよ、と言ってしまおうか。
 運命の相手はリアナ様ではなく私でした。今すぐ私とキスして下さい。そう素直に言えたらどんなにいいか。
 でも、殿下はリアナ様のことを想っていらっしゃるのだ。ここで私が突然しゃしゃり出ては、殿下の恋心も断たれてしまう。

(ああ、もう! 殿下がこんなに真面目な方じゃなかったら。キスをした相手を放っておけないなんて言う堅物人間じゃなかったら楽だったのに――)

 結局私の口を突いて出たのは、苦し紛れの言い訳だった。


「もう一度、満月の夜に恋占いをさせて頂きたいのです。先日ローズマリー様が仰ったでしょう? 占いが外れているる可能性があるかもしれません。二度占って同じ結果が出れば安心ですよね」
「前回の占いの時に、結果は百パーセント当たると言ったのはディアだよ」
「それは、私はもちろんそう思ってます…… が、万が一ということもありますし」

 自分で言っていても分かるほどに支離滅裂な説明だ。殿下は真面目な顔で話を聞いてくれていたが、最後は少し寂しそうに微笑んだ。

「君がそこまで不安なら、私のファーストキスの相手はローズマリー嬢に頼むことにするよ」