ローズマリー様の呪いに苦しんだあの時から季節はガラッと変わり、外の空気はもう冷たい。イングリス山が見渡せる広い場所まで歩き、私たちは並んでベンチに座った。


「ディア。頭の整理がつかない……と言ったね。どういうこと?」


 殿下が兜を脱ぎながら言う。
 相変わらず美しいブロンドの髪が、冷たい風にサラサラと揺れた。


「だって……私が土砂に生き埋めになった時、殿下は私のことを助けて下さったでしょう? 私にキスをしたら殿下は死んでしまうかもしれないのに、王太子殿下が自らの命を張って平民を助けるなんて……どうかしてるなって思ったんです」
「本当にそうだろうか。自らの命を賭けて国民を助けるのが、未来の国王のすべきことではないかな?」
「真面目かっ……! でも、殿下がいなくなったらこの国は困ってしまいます。次の国王には誰がなるんです? アーノルト殿下は、この国の希望なんですよ。それに……」
「それに?」


 不安そうに聞き返す殿下の顔を見ていると、どうも自分の気持ちがざわついてしまう。
 ファーストキスを奪った責任を取って私を一生大切にするとか、国民を助けるのが自分の義務だ、とか。
 まるで責任や義務感から私に優しくしているような、そんな感じがしてしまうのだ。

 私が求めているのはそんな言葉じゃない。もっとこう、何か……恋愛小説に出て来るような、ロマンチックな言葉なのだ。

(本当は、殿下にもっと甘い言葉を囁いて欲しい。でも、私は平民だし……)

 私の言葉の続きを待ちながら、殿下は私の横顔をじっと見ている。
 言葉の続きを伝えようと殿下の方に顔を向けると、殿下は私の腰に手を回してそっと引き寄せた。

 そして殿下は私の髪に顔を埋める。


「……ディアは花の香りがする。これが魔力の香りなのか?」
「ちょっと! 勝手に匂わないで下さいよ! 恥ずかしいから……」
「ディア、話の続きは?」
「私だって、殿下のお気持ちは分かっているつもりです。命をかけて私を守って下さったんだもの。でも、いくら運命の相手だからと言って、私たちはあまりにも身分が違いすぎます。それに私は孤児です」
「私はディアを心から愛しているよ。ディアも私のことを愛してくれているからこそ、私の呪いは解けたはずなんだが」
「あ、愛っ……!?」


 殿下が腰に回した手に力を入れたからか、殿下の顔はあまりにも近い。
 まるで、二人でキスの練習をしたあの日のようだ。

 狼狽える私を見て満足げに微笑むと、殿下は私の腰から手を放し、ベンチを降りて跪いた。私の片手をそっと握り、もう一方の手をご自分の胸に当てる。


「クローディア、私と結婚してくれないだろうか」


 私は呆気に取られて固まった。
 先ほどまで空気が冷たかったはずなのに、殿下の指先から少しずつ熱が伝わってきて体が火照る。

 
「アーノルト殿下! 結婚って……だから、私は平民なんです。ただの」
「君はイングリス王太子の命を救った平民で、将来はこのイングリス王国の筆頭聖女になる女性だ。たかが王太子ごときでは君に釣り合わないと言うのか? 他にどんな肩書きを持ってくれば、プロポーズを受け入れてくれる?」
「殿下! 何を言ってるんですか!」


 恋占いが得意でも、恋愛小説を読み漁っていても、どうやら自分の恋は理想どおりにはいかないらしい。
 突然のプロポーズに、私はただ慌てることしかできない。


「ディアが王太子妃の地位を不満だと言うなら、今すぐにでも国王陛下に頼んで王位を譲ってもらおう。そうすれば君は一足飛びに王妃になれるよ」


 殿下は意地悪そうな顔でそう言うと、私の指先に口付ける。
 ただの平民から筆頭聖女になる予定の私が、今度は王太子妃になって欲しいと頼まれている。その上、それを断ったら今度は王妃だなんて!

 私が王太子妃や王妃の地位を欲しがっているなんてつゆほども思っていないのを知っていて、こんな言い方をする殿下。
 真面目な顔をしているくせに、殿下は意外と押しが強くて意地悪だ。


「君は私の運命の相手だからね。逃げられないよ」
「確かに、もう逃げられそうにないですね……」


 イングリスの神が示した、私の運命の相手。
 真面目で純粋で、私のために命を危険に晒してまで助けようとしてくれる人。

(平民から王太子妃になったって、この人が側にいてくれるなら何とかなる気がする)
 
 諦めて腹をくくった私は、殿下の手を握り返して微笑んだ。