この胸が痛むのは

「まだもう少し、時間はかかります。
 お先にうちに行かれては?」

「いえ、ここで待たせてください。
 典医を、ひとり連れてきています。
 御者の身体を見せていただいても?」

侯爵が頷いたので、典医に合図して御者の遺体を見て貰う。
多分、侯爵はこの男も連れて帰るから、今しか調べられない。


「打ち身や木にぶつかって出来た傷は多数。
 しかし刃物で切られた様な傷は見当たりません。
 暗いので断言は出来ませんが」

馬車を操っていた御者に人的に襲われた傷が無いのなら、やはり事故なのだろうか。


「あの上、位置からして、やっぱりあの坂だ」

レイが上方の崖を見て指差した。
俺達は王城を出発する前に全員で、この辺の地形を頭に入れてきた。
森の上に位置するのは、王城を囲む貴族街がある高台から平民が住む城下町へと下る長い坂道だ。
それ程急な勾配ではないが、今日は夕方まで雨が降っていて道はぬかるんでいた。
その泥濘に車輪が取られたら?
崖から滑り落ちて、森に突っ込み、御者と馬は投げ出され、馬車は潰れる。
上から落ちて、もう1頭の馬はどこまで飛ばされた?

だが馬車があの坂を下るのはおかしな話だ。
普段貴族街から出る必要の無い侯爵家の馬車がどうして
あの坂を駆け降りた?
侯爵家の御者だ、腕前は相当のはず。
そんな男が、雨が上がったばかりの、暮れ始めた日没の時間に。
城下へ降りようとしたのは何故だ?
第一、必ず付いている護衛は何処に?


考えていると、馬車が取り除かれて、侯爵夫人とクラリスが。



あぁ、侯爵が言っていた通り。
クラリスは背中を、母に抱かれていた。