八神さんは立ち上がって言った。



「アイツは、あんなこと、忘れていた方が、幸せなんだ。」

「分かるよ…」



あたしは頷いていた。

精神的外傷(トラウマ)は忘れていた方が幸せな場合がある。

あたしは、よく知っていた。



「あのな、苦痛を乗り越えるには、いくつかの方法がある。」



八神さんが細長い人差し指を立てる。




「ひとつは、忘れること。」


「ひとつは、逃げること。」




八神さんの口がうっすらと笑みを帯びる。




「そして、やり返すこと。」





八神さんの右手、ミサンガではなく黒いリストバンドをつけた右手を、あたしの方に出す。




「俺がね、清水がいじめられても介入しなかった理由。それはね。」




八神さんの手が、あたしの頬をするりと撫でる。

八神さんの黒い目は、綺麗だった。

口元は笑っているけど、目は笑っていなくて。

あたしは、体のどこかから恐怖が湧き上がってくるのを感じた。




「清水が、いつ、どの選択をするか、興味があるから。」




八神さんがクスクスと笑う。




「なぁ清水。どれを選ぶ?忘れる?逃げる?それとも…」