―二千三十四年八月―

 都立病院の集中治療室・個室。
 ゆるやかな波形を描いていた心電図が、突然激しく乱れ、七年間も昏睡状態だった患者が、まるでゾンビのように急に大声を上げて起き上がる。

「うわああ!!」

 その異様な姿に、担当看護師は腰を抜かさんばかりに悲鳴を上げた。

「きゃあああ……! あ、秋山さん、秋山さん! 先生! 秋山さんも意識を取り戻されました!」

 看護師は怯えたように床にへたりこみ、ナースコールを鳴らす。ドタドタと足音がして、医師と看護師が個室になだれ込んだ。

「秋山さん、話せますか? 話せないですよね? 頷くだけで構いません。どこか痛むところは? 体に異常はありませんか? ずっと昏睡状態だったので運動機能の低下や脳の機能低下もあるはずです。ベッドで起き上がれるなんて極めて稀な症例です。詳しい精密検査をさせて下さい」

「先生、俺は七年間も昏睡状態だったんですね。やはりそうでしたか」

「しゃ、喋れるんですか? 『やはり』とは?」

「いえ、こちらの話です。ほら、体もこんなに動かせますよ。七年間ということは、今は二千三十四年? 嘘だろう……。急がなきゃ……」

 修は両腕をぐるぐる回し、両足もバタバタ動かしてみせた。医師はその光景に目を丸くしている。

「先生、俺は交通事故に遭ったあと昏睡状態になったんですよね? 林檎農園の運転手も目を覚ましましたか」

「林檎農園の運転手は秋山さんと同じように病院に運ばれた時から昏睡状態で集中治療室で経過を診ていました。ところが数日前に秋山さんと同じように突然目覚められ精密検査で何の異常もなく、昨日奥さんと娘さんが迎えに来られ退院されました。その時に『このお客さんもきっと目覚めるから、この手紙を渡して欲しい』と頼まれましたが、まさか本当に目覚められるとは。奇跡というか、あり得ない話でまるで狐につままれたようです。医師としては大変困惑しています」

 修は運転手からの手紙を受け取り、その内容を読む。

【秋山さんもどうやら元の世界に戻れたようですね。私も一足先に戻りました。体はピンピンしています。今回も入院中の費用は私の加入していた保険で賄いますからご安心下さい。もうあれから七年も経ってます。早く奥さんの元に戻って下さい。私は妻の元夫が引き取っていた妻の長女と初めて会い、ルリアンにそっくりで驚いています。話したいことは山ほどあります。落ち着いたらまた会いましょう。木谷正】

「木谷さん……。よかった。ありがとう。先生、同乗していた私の妻と子供は?」

「同乗していた奥さんですか? 奥さんも子供さんも不思議なことに幸い軽症ですみ、直ぐに退院されました。途中何度も脳死判定のお話をさせてもらいましたが、奥さんは『必ず夫は目覚めるので脳死判定はお断りします』と断言されまして。でもまさか本当に目覚められ、こんなにピンピンされてるとは、異常ですよ。これは異常です」

「あはは、ですよねえ」

 (美梨や子供達は前回同様軽症ですんだのか……。よかった。本当によかった。)

 修は元気さをアピールしたが、医師から『精密検査をさせて欲しい』と言われ、MRI検査や造影剤を使用したCT検査もして、『全て異常なし』との結果を得て医師を驚かせた。

 美梨は病院から連絡を受け、修が目覚めたと聞いて直ぐに病院を訪れた。医師からの説明で『全て異常なし』との結果を聞き、不安が喜びの笑顔に変わった。

 医師は『秋山さんは今回で二度目だそうですね。この症例をぜひ学会で発表させて欲しいのです』と再三願い出たが『それは医学的に証明できないから、やめたほうがいいですよ』と忠告し丁重に断った。
 
 修は木谷の手紙を読み、義理の娘がルリアンにそっくりだと知り、異世界《ゲームの世界》で起きていたことが、この現実世界でも必ず起きていたはずだと確信する。

 修は美梨と再会し、一刻も早く現実を確かめたかった。医師の説明を受けた美梨や昂幸、優が病室に姿を現した。異世界で我が子にそっくりな子供達に逢っていた修は、子供達の成長に違和感はなかったが、子供達は緊張した面持ちだった。

 まだ七歳の優は体全体で歓びを表し、修に抱き着いたが、自分の身長を超した昂幸はよそよそしい態度だった。その理由も修にはハッキリと理解できていた。

「美梨……。待たせてごめん。遅くなってごめん」

「修……。必ず戻ってくると信じてたわ。私ね、美波さんに逢って話をしたのよ」

「えっ? 美波に?」

「詳しいことは、帰宅して話すわ。昂幸も父さんに話があるんでしょう」

 昂幸は不機嫌な顔で目を逸らした。
 七年振りに目覚めた父子との再会とは思えないほど冷たい態度だった。