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 ―トーマス王太子殿下・応接室―

「トーマス王太子殿下どうするのですか。話が違います。恋人の振りをして婚約を解消するのが目的だったはずなのに、国王陛下に認められてしまったではないですか」

 トーマス王太子殿下は椅子に座り足をブラブラさせてまるで人ごとだ。

「そうだなあ。まさかあのお父様が認めて下さるとは。マリリン王妃の嘘泣きが逆効果になったようだ。きっと今頃は悔しがってるよ」

「マリリン王妃は嘘泣きだったの?」

「そうだよ。あの人は昔から嘘をつくときは必ず目に涙を浮かべるんだ。でもお父様は疑わずに信じるんだよ。お父様は寛大な方だから、全てを受けいれるんだ」

「トーマス王太子殿下は国王陛下の性格もマリリン王妃の性格もわかった上で、わざと『ルリアンと真剣交際を致します。それが叶わないなら生涯結婚は致しません』なんて大嘘をついたのね。酷い」

「そんなに怒るなよ。これで私達は国王陛下公認の仲だ。マリリン王妃にとやかく言われる筋合いはない。来週も待ってるからな」

「来週? 私はもうメイドは解雇されました」

「だから恋人として。真剣交際してるんだから、王宮に自由に出入り出来るよ」

「それは非公表だと国王陛下に釘を刺されたでしょう。もうここには来ませんから」

「だったら外でデートしよう。もしよければ今から外出しても構わない。ルリアンのお義父さんは日曜日は休みなんだろう。ドライブにでも連れて行ってもらおうよ」

「義父はマリリン王妃の専属運転手でトーマス王太子殿下の専属運転手ではありません。義父を使わないで下さい」

「それが不思議なんだよな。どうしてマリリン王妃がトルマリンさんを専属運転手に雇ったんだろう。ルリアンのお義父さんは記憶喪失なんだよね? まだ記憶は戻らないのか?」

「はい。でも母とはラブラブですけど」

「そうなんだ。ルリアンのお義父さんと話をしてると懐かしい気分になるんだ。どこかで逢ったような……」

「トーマス王太子殿下は他国に訪問されてますし、義父のような移民は田舎に行けばいくらでもいます。あのゲジゲジ眉毛以外は。ほんと、似なくてよかった。ていうか、義父だからゲジゲジ眉毛が遺伝することはないですけど」

「ゲジゲジ眉毛……。それだ! あのゲジゲジ眉毛を見た記憶があるんだ。母と一緒に暮らしていた時に、ゲジゲジ眉毛のおじちゃんが鶏をお土産に買ってきてくれるって約束したんだ」

「やだ。確かにホワイト王国の農村で御生母様がいらした家は、私の住んでいた農村とさほど離れてはいませんが、トーマス王太子殿下の記憶している『伯父さん』と義父は別人ですよ。田んぼの中で倒れていて、無一文だったんだから。傍にあったのはたったひとつの林檎ですから」

「林檎……。赤い林檎……。おじちゃんがくれたのも林檎だった。でもタルマン・トルマリンなんて名前ではなかった気がする。パープル王国では聞かないような珍しい名前だった。前日に初めて逢って、その人に言われたんだ。ここでは『伯父さん』と呼んで欲しいと」

「珍しい名前? その方は今も行方不明なんですよね? 『ここでは伯父さんと呼んで欲しい』と言われたなら、本当の伯父さんではないということですよね」

「そうだよ。前日に逢った。義父の知り合いだけど他人だよ。でもとても私を可愛がってくれた。母と義父がタルマンさんに逢ったらわかるかもしれない」

「やめて下さい。義父がトーマス王太子殿下が『おじちゃん』と呼んでいた人だとしたら、私の母が悲しみます。母は義父を夫だと信じているのですから」

「でももしもあの時の『伯父さん』がタルマンさんなら、マリリン王妃がわざわざ王宮に呼んだ理由がわかるかもしれない」

「確かに、あの義父がマリリン王妃のご指名で王宮の専属運転手になるなんて、異例中の異例でしょうけど。義父と御生母様とマリリン王妃に何か接点があると?」

「わからないが、気になるんだ。タルマンさんにまた逢わせてくれないか? 交際のお許しももらいたいしね」

「嫌です。お断りします」

 ルリアンはピシャリと断る。トーマス王太子殿下は不満げに唇を尖らせた。

「何でだよ」

「私の家庭を壊さないで下さい。では、本日は失礼します。あの……あくまでも交際している振りをしただけですから。誤解なさらないで下さいね」

「はいはい。今日はコアラか。それも見納めだな」

 (今日はコアラ? ま、まさか、下着を見たの!?)

「サイテー! この三十点王子!」

 ルリアンは傍にあったクッションをトーマス王太子殿下の顔面目がけてぶん投げた。クッションを軽くかわしたトーマス王太子殿下はテーブルの上にあった果物籠から赤い林檎をひとつ掴むと、それをルリアンに向けて緩く投げた。ルリアンはそれを両手で掴む。

「それは先週ホワイト王国まで同行してくれた御礼だ。タルマンさんに渡してくれ」

「……義父さんに」

 ルリアンは掌の中にある赤い林檎に視線を落としたまま、トーマス王太子殿下の部屋の応接室を出た。