スポロンが退室したあと、マリリン王妃が窓際から外を眺めた。眺めの良い美しい庭から数メートル離れた先に使用人宿舎があった。

「マリリン王妃、私にお話しとは?」

「トーマス王太子に大切なお話しがあります。国王陛下の前では話せないデリケートなお話です。座っても宜しいですか?」

「お父様には話せないこと?」

 マリリン王妃はソファーに腰を落とし、トーマスに真っ直ぐ視線を向けた。

「国王陛下にはお父様とお呼びになるのに、私はお母様とは呼んでは下さらないのですね。私がメイド上がりだからですか? やはりトーマス王太子のお母様は今でもメイサ妃ただお一人なのですね」

「……いえ、それは」

「王室関係者のみならず、パープル王国の国民全てが知っての通り、私はメイサ妃のお付きのメイドでした。メイサ妃がサファイア公爵令嬢でいらした時からお仕えしていました。私の元恋人をメイサ妃に奪われたあとも、私はメイサ妃を許し恋人との逢瀬も黙認して、メイドとしてお仕えしたのです」

「お母様がマリリン王妃の元恋人を奪った?」

「まだ未成年のトーマス王太子にこのようなお話はすべきではないと思いましたが、トーマス王太子の御婚約が整ったこともあり、一人の大人の男性として恥を忍んでお話しているのです」

「お母様はお父様とご成婚される前に他に恋人がいたと? まさか。それがマリリン王妃の元恋人だったと……?」

「そうです。メイサ妃は国王陛下との御成婚前に御懐妊されていたのです。その意味は言わずともお分かりですね。国王陛下は寛大なお方、それを全て承知の上でメイサ妃もトーマス王太子も受け入れられました。それなのにその国王陛下のお気持ちを裏切ったのはメイサ妃なのです。メイサ妃はこともあろうに私の元恋人に再会し心を奪われ、国王陛下を蔑ろにした。私は国王陛下の寂しい心を癒して差し上げたのです。それはやがて深い愛となり国王陛下はメイサ妃よりも、私を選んで下さいました」

「……私はお父様の子ではないと仰りたいのですか?」

「いえ、血の繋がりはなくとも、国王陛下はトーマス王太子を我が子だと思われています。深い愛は血よりも濃いのです」

「……まさか。マリリン王妃の元恋人は私の誘拐事件で英雄扱いされたサファイア公爵家の元執事……」

「よくわかりましたね。トーマス王太子も大人になられました。ご自分で色々調べられたのですね。私の元恋人はサファイア公爵家の元執事レイモンド・ブラックオパール。メイサ妃の再婚相手でありトーマス王太子の義父と認識されている方です」

 トーマスは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。実父と信じていた国王陛下とは血の繋がりははなく、義父が実の父親だとは信じがたい真実だった。

 (聖母のように気高い女性だと思っていた母が、メイドから元恋人を奪い懐妊したまま、堂々と王太子殿下だったお父様と御成婚して自分を生んだなんて……。なんて非常識な……。お父様を騙し国民を騙し、私までも騙すなんて……。)

「国王陛下がトーマス王太子の御婚約を急がれる理由はそのことも関係しているのです。まだ清らかな関係のまま御婚約をすれば、お互い傷付け合うこともないでしょうからね」

 マリリン王妃の話は、トーマスの純粋な心をグサグサと斬り裂いた。心が真っ赤な血に染まる。

「……お話はよくわかりました」

「私の話をお疑いですか? 私はトーマス王太子の御生母様を王室から追い出した憎き相手。ご自分で確かめたくて昨日はホワイト王国へ出向かれたのでしょう。ご自分の立場をわきまえ、必ずや王宮に戻るとお約束して下さるなら、私が国王陛下には内密でメイサ妃の御邸宅を教えて差し上げますよ。トーマス王太子は私の元恋人の血を引く御子息。あなたを生むのはメイサ妃ではなく、本来ならばこの私だったのですから。メイサ妃さえいなければ私があなたの生母になるはずだったのです」

 マリリン王妃がトーマスを実子でもないのに溺愛する意味が初めてわかった気がして、トーマスは歪んだ愛情に嫌悪感を抱いた。
 
 (大人はみんな汚い……。みんな嘘偽り。何故母も義父も真実を隠したまま私を手放したんだよ。我が子なら取り戻しにくればいいだろう。私に……何の愛情もないのか……。ユートピアさえいればいいのか……。)

「マリリン王妃、お話はわかりました。でも母の住所は結構です。私はお父様を裏切ることは致しません。血の繋がらない私をここまで我が子として育ててくれたお父様のご恩には報いるつもりです」

「トーマス王太子はメイサ妃よりも賢い御方ですね。わかっていただけたなら幸いです。ダリアさんとのご縁を大切になさって下さいね。このことは国王陛下にはご内密に。では、失礼します」

 トーマスは応接室を出るマリリン王妃の背中を黙って見つめた。

 ドアが閉まったと同時に、感情が込み上げ一筋の涙が頬に零れ落ちた。