―王宮二階の応接室―

 エレベーターから降りたトーマスは一人で応接室に向かった。応接室の外の廊下には数名のメイドがいて「トーマス王太子殿下お帰りなさいませ」と頭を垂れた。

 メイドが応接室のドアをノックし、ドアを開く。トーマスは室内に視線を向けた。革張りのソファーに座り葉巻を吹かしている国王陛下。バルコニーにいたマリリン王妃が応接室の中に入り、国王陛下の隣に座った。

「トーマス、今日は随分遅かったようだね。護衛も付けず、見習いの運転手に色々同行させたそうだね。無事でよかった。心配したよ」

 国王陛下はトーマスを叱ることもなく、穏やかに語りかけた。どうやらスポロンから行き先もルリアンと一緒だったことも知らされてはいないようだった。

「学友と遊ぶのもいいが色々学ぶべきこともある。トーマスは王位継承者なんだよ。外出する際は護衛は必ずつけなさい。トーマスは過去に誘拐事件に巻き込まれたこともある。私達王族の命は常に危険と隣り合わせなんだ」

「わかってます。国王陛下すみませんでした」

 黙って聞いていたマリリン王妃が優しい口調で話しかけた。

「国王陛下、もうこの話はそれくらいで宜しいではありませんか。本日はもっと大切な話がおありでしょう」

「そうだったな」

 マリリン王妃はテーブルの上に一枚の写真を置く。それは未成年のトーマスでもお見合い写真だということはわかった。

「ピンクダイヤモンド公爵家のご令嬢、ダリアさんです。トーマスと同じ年齢で九月からはパトリシアハイスクールに進級される。本日は公務のあとピンクダイヤモンド公爵夫妻とダリアさんと謁見したんだ。正式に婚約の話が整う運びとなった。トーマスもダリアさんに一度逢ったそうだな。ダリアさんはたいそうトーマスのことをお気に召されたようだ」

「国王陛下、私はまだ十六歳です。ダリアさんも同じ年齢だとしたら、正式に婚約とはあまりにも早すぎます。もう少し時間をいただけませんか?」

「それはならぬ。私はトーマスのようになかなか良いお相手が見つからず、三十歳を越してからの婚約となった。そのため色々と大変であった。トーマスにはそのような迷いから解き放つために、正式な婚約者は必要だよ。そうすればダリアさんもトーマスも他の異性に目は向かないだろう」

 トーマスは国王陛下の意図する言葉の意味が理解できなかった。何故なら、国王陛下は我が母を裏切り、母にお付き合のメイドだったマリリン王妃と恋仲になったのだから。

 結局、国王陛下は母を裏切った。トーマスは国王陛下から愛されてはいるが、国王陛下は母よりもマリリン王妃を選んだ。マリリン王妃もトーマスを溺愛してくれてはいるが、母から国王陛下を奪った女性に過ぎない。

 それでもトーマスはマリリン王妃を憎むことなく、義母として接している。それは尊敬する国王陛下の寵愛を受けている女性だからだ。

「トーマス王太子、私も良き御縁談だと思いますよ。ピンクダイヤモンド公爵家はパープル王国でも資産家でございます。私のような身分も学もない者とは比較にならないほど素晴らしき御縁談。そうですよね、国王陛下。やはりトーマス王太子にはそれなりのご身分のお方でないと釣り合いはとれませんから」

 マリリン王妃は自分を卑下した言い方をした。それはまるでトーマスがルリアンに淡い恋心を抱いていることを見抜いているかのようだった。

「国王陛下、マリリン王妃、私は自分の結婚相手は自分で決めます。それにまだ婚約は致しません」

「トーマス、我が儘を言うでない。その気の強さは生母に似たようだね。だが、これはもう決まったことだ。よいな」

「お父様……。私はこの国のために母から引き離されたのですか?」

 トーマスはつい『国王陛下』ではなく『お父様』と口にした。マリリン王妃が凛とした態度でその問いかけを遮断した。

「トーマス王太子、国王陛下の前で大変申し辛いのですが、メイサ妃よりトーマス王太子を引き離したわけではございません。メイサ妃はトーマス王太子の義父となられたブラックオパール氏との間に御子を授かり、その御子をブラックオパール家の跡取りと決められておられます。トーマス王太子の義父弟君はいずれはメイサ妃の御生家であるサファイア公爵家の跡取りとなられましょう。トーマス王太子はサファイア公爵家にもブラックオパール氏にも必要とされなかったのでございます。それが真実なのです」

「これ、マリリン王妃、それは言い過ぎだよ。メイサもブラックオパール氏もトーマスを愛しているのだ。だが、跡取りは二人いらないのは事実だ。このパープル王国の王位継承者はトーマスただ一人、それをしかと心得て行動するように。今夜はもう遅い、下がってやすみなさい」

「……はい。失礼します」

 トーマスはマリリン王妃の言葉に激しく動揺していた。可愛いと思っていた弟は義父にとっては実子であり、自分の存在価値はこの王宮にしかないのだと思い知らされたからだ。

 それを証拠に、実母も義父も弟と共にトーマスに何の連絡もなく、ホワイト王国を去り行方知れずなのだから。