その3
まやかしの鑑定


源吉は床の間を左横にして腰を下ろすと、保憲夫妻はその正面に坐した。

「…私の父、面川家9代目当主であった伊太造が先代から当主を禅譲されたのは、諸々の事情があって25歳の時でした。長男である私が父の3番目の妻との間で生を受ける3年前だったそうです」

保憲は、それこそ畳一枚斜め後ろで俯いて正座している若い妻をチラ見しながら、ゆったりとした口調で”告白”を始めた。

「…当時の面川屋は、群馬の方々や県外に大口のお得意様を抱えておりましたが、普段は地元のお客様がお越しになると、そこの縁側に招き、狭山茶を父が煎じて、世間話に花を咲かせていたんですね」

保憲は床の間に接している広縁を指さすと、源吉は後ろを振り返った。
彼の視界には、松が植わっている広い庭が飛び込んできた。
だが、それはどこか陰を宿す空気を漂わせていた。

「…父は落語家のような話上手でしたので、毎日、訪れる人は絶えませんでした。もともと、本業の傍ら、趣味の延長で鑑定を嗜んでおりまして…。客人との縁側談議は、もっぱら鑑定にまつわる話題が中心だったようです」

伊太造は客人が持参した物品を”我流鑑定”し、その抜きんでた会話術で、日々客人との鑑定話に花を咲かせていたのだが…。

当初はあくまでも”我流”という前提付きで、客人が大切に保管する所有物品を色付き高値で鑑定評価し、思いもかけぬ高鑑定を頂戴した客人に喜んでもらい、本業の繁盛につなげる意図で留まっていた。

ところが…、程なくして、生まれついての商人魂が骨の髄にまで浸み込んでいた伊太造の眠っていた心裏は蠢き出す…。

***

「…客人が持参する物品鑑定は、やがて趣味から副業に変容していったようで…。父は目ざとく価値ありと見抜いた物品には、故意に安値鑑定を付けて買い取る手法を用いるようになりました。言うまでもなく、買取った品は利益を乗せて転売する訳で、この副業は結構な儲けになったそうです」

源吉は保憲の話に、どこか神妙な面持ちで黙って耳を傾けていた。
この時点で、彼には一つの疑問が浮かんでいた。

”なるほど…、そういう儲け方があったんだなあ…。でもよう、なんでまた客人は、大切にしている所持品を先代の旦那さんがはじき出した叩き値で手放しちまったんだろうか…”

ごく自然な疑問を抱いていた源吉の様子を敏感に悟ったのであろうか、保憲はとつとつとした口調で明かした。

「…小原さん、父は安値鑑定の際に、ある共通の根拠を所有者に突き付けていたんです。その結果、客人は父の言うがままの”鑑定価格”で買い取ってもらったということです。しかも、お売りいただいた客人は一応に、父へ感謝して屋敷をお帰りいただいたそうなんですよ」

「…」

源吉は目を丸くして、さらに”なぜ…?”と、心の中で呟くのだったが、そのなぜかも、すぐに保憲の口から明かされる。

「曰くつき…。先代さんは、客人かた買取った所持品に何かよからぬ因縁が宿っているからと、そう告げたんですかい?」

「はい…。その物品をこのまま手元に置くと、よからぬ目に遭いかねないと、客人には忠告めいた鑑定根拠を添えていたんです。もともと、父は八卦見の俄か心得もあり、この地方では結構周知されていまたそうなので、皆さん、父の易読みも鑑定の延長で信じ切っていたらしいんです。まあ、それも父の卓越した話術によるものもあったのでしょうが…」

ここで保憲は軽くため息をついて、斜め後ろの詰めと再び目を合わせた。

「ふう…、そうですかい…。そういうことで…」

源吉も保憲に思わずためを漏らしながら、相槌を打つかのようにやや小声でそう発した。
畳工事を請け負ってもらおうという、この畳職人の表情が目に映ると保憲夫妻の胸中は曇ってきたが、彼に伝えるべき面川伊太造の所業はまだ序の口に過ぎなかった…。