その2
触れべかざる一枚


源吉が面川家に赴くと、保憲夫妻はたいそう歓迎した。

夫妻はひと通り屋敷内を案内し、今では逆立ちしても造り得ない伝統木造建造物たる面川邸の”和の施された隅々”を、家屋建造の重要一端を担う畳職人に惜しげなく披露した。

結果、昔ながらの畳職人としての習得行程を経て撫で習った、めったに目にできない日本家屋という匠の抄を目の当たりにした源吉は、大いに感嘆し、こう漏らした。

「いやあ…、これは見事ですなあ…。こんな格式ある邸宅は見てことねえ…。畳縁は疑似だが、高麗縁を拭っている…。いやあ、若旦那、こりゃあいいもんを目にできました。ぜひ、俺に本仕事、賄わせていただけねえですか?」

小原源吉は、当該畳部屋へ通されると、約30畳をざっと見まわし、保憲夫妻顔へ紅潮させてやや興奮気味にこう嘆願した。

それを受け、面川保憲は妻と顔を見合わせ、浅くうなずき合った後、深長な面持ちを以って、源吉に”実は…”と懸案の畳一枚のいきさつを申し出た…。


***


「…小原さん、そういう訳で、あそこの床の間んとこ一枚だけは手をかけないでもらいたいんです。これは面川家先代からの硬い言いつけでして…」

「へい、事前にそう言いつかれば、その通りにいたしますがねえ…。だが、なんでまた…。このおおっ広い畳がひと化粧施されりゃあ、ますますもって、あの床の間さんは足元が黒ずみ浮き出る。そちらのお家の流儀なら余計な口出しは無用でしょうが…、やはりどうしてなのかということは、ここで作業には入れば常に頭をよぎりますんで…」

源吉は職人気質を芯に宿してはいたが、心穏やかな気性の持ち主だった。
なので、保憲夫妻にしてみればまことに柔和な問いかけに感じることができた。

「…ですんで、そんなんで気が散って仕事に影響したとあっては、あっしも心苦しいし、本意じゃあない。よろしけりゃ、その理由、お聞かせいただけねえでしょうか…」

こんな野暮含みの口上で、源吉は、請負ごとの前に懸念した想いを心にあったそのままのコトバで若当主夫妻に投げかけたのだった…。

そして…。
この真摯な畳職人の問いかけに、保憲夫妻は当該畳の前に腰を下ろして、その因果勢い湧く、先代当主からの”言いつけ”にまつわる一部始終を告げるのだったが…。

それはあまりにおどろめかしい、先代伊太造が辿った闇深き業を晒す暗告白に他ならなかった。