ある告白①
不動産会社経営 安原鈴絵



昨年秋…、宅建業の免許更新直前、私は廃業を決意しました。
バブル後の20数年間…、離婚して二人の幼い息子を抱えていた私は、親から継いだ不動産会社を必死で営んできたのですが…。


成人した息子は二人とも硬い安定職に就いていて、すでに所帯も持ち、今さら親の”リスク”を背負う気などさらさらなかったようでしたし…。
色々考えた末ということで、この度の選択に至った訳です。


それにはまず、私の健康状態がありました。
寄る年波には勝てずと言っては、50代そこそこの私が口にすべき言葉ではないのかも知れません。
世間、一般的には…。


でも…、骨密度の低下、目や歯が”別物”として自分の健康寿命を着実に蝕むその実際を認めざるを得ない自覚を持つに至り、どてっと腰が砕けました。
まさしく健康上、”一線”を超す予感という名の足音が着々と耳に届いてくる感じで、ガッツリとした不安感は私を容赦なく襲ってきたのです…。



***


健康不安を抱え、確実に年をとっていく…。
そうなれば人はおのずと、”自分が迎える死”に対しての意識は変化していくと思うのです。


ですが、私の場合は極端でした。
この時期、自分の死への捉え方は、もろに恐怖心、不安感へと行きついてしまったのです。


そんな創造物を想像で心の中に埋め込み続け、この数年間を経て、私はわが身が死した後、その先に待ちうけるモノを感じ得る媒体を瞼に宿らせてしまったようなのです。


この媒体によって感覚として映る死後とは…。
永劫の闇、業火で焼かれる永遠地獄…。
私の心の奥は、そんな像までを描いていたようなのです。


それを心眼で受け入れた時の絶望感…。
私はこの期に及んで、それを拒みません。


そして、こんな狂おしい思いをしている人は、他にも大勢いると信じます。
死後の心象物と対峙しているのは、決して私だけではないと…。