侍女との会話から、異世界から現れた聖女が、リサという名前と知った時、名前で呼びたいと思った。
 
 それにも関わらず、小さな花のように可憐な響きの、その名前を口にしようとして、できないことに愕然とする。
 騎士としての精神力も、持っている魔法も、大抵の呪術、魔法に抵抗できると自負している。

 ――――聖女の名前を呼ぶことができないなんて、ただの言い伝えや儀式の類で呼んではいけないだけだと思っていたのに。

 どんなにその名を口にしようとしても、リサという単語が出ない。
 おそらく彼女のことは、聖女様としか呼ぶことができないのだろう。

「――――聖女様。そのお名前は、神聖なもの。ご本人であっても、簡単に口にしてはいけません」

 たしか、この侍女は、男爵家の令嬢だったな……。
 彼女が、せめて心穏やかに暮らすためにも、侍女は替えたほうがほうがいいだろう。
 侯爵家にも、穏やかな性格のリサと年が近い侍女がいたはずだ。

 退室していく侍女を横目で見ながら、俺は一つの決意をしていた。

「あの……」
「私はレナルド・ディストリアと申します。聖女様の守護騎士を拝命いたしました」

 その瞬間、彼女の黒曜石のような、それでいて水晶のように澄んだ瞳が、悲し気に伏せられた。

「――――あなたも、私のことを名前で呼んではいけないの?」
「もちろんです。聖女様」

 そんな顔をさせたかったわけではないが、そうとしか答えようがない。
 呼ぼうとする者がいないのと、呼ぶことができないのでは、次元が違う。
 いたずらに不安がらせるわけにもいかない。
 だから、俺にできることは一つしかない。

 後から考えても、初対面の人間に、人生で一度きりの忠誠を捧げるなんて、おかしいとしか言えない。
 それでも、心の奥底に芽生えてしまった感情に、突き動かされるように、その言葉を告げていた。

「そうですね、では、守護騎士の誓いを……。一度だけ、その神聖な言葉を口にすることをお許しください。守護騎士として授かった栄誉、この剣に誓い、リサ様をお守りいたします」