ウィーンに留学して約1年半。

詩月はずっと、郁子とコンクールに挑戦することを楽しみにしてきた。

郁子のピアノを間近で聞ける、それを支えにしてきた。

パソコン越しの音ではなく、郁子の息づかいを感じながら、郁子のピアノ演奏を聴きたいと、ずっと思ってきた。

コンクール挑戦。

詩月自身の目標は何も変わらないのに何処かスッキリしない、空虚感に譜読みさえも気が乗らない。

下宿先の師匠の妻マルグリットが経営しているサロン「フレデリック」でのピアノ演奏のバイトも、大学の講義にも今1つ集中できない。

気がつくと溜め息が零れている。

「どうした? 最近、元気がないな」

郁子の「ごめんなさい」から1週間が過ぎた頃。

詩月がBALで、コンクール課題曲ピアノ協奏曲の譜面を眺めていると、ミヒャエルが詩月に訊ねてきた。

「弾きたくても弾けない、それがどういうことかわかっているつもりだった……でも、コンクール間近に腱鞘炎だなんて、今まで彼女は何のために頑張ってきたんだと思うと悔しくて」