「安坂さんは呑気だな。本番はもっと大変かもな。何が起きるかわからない」

ーー恐い人ね。貢は耐えきれるかしら

「耐えてもらわなくては、伴奏を引き受けた甲斐がない。調子はどうだ?」

ーーカノンを弾けるようになったわ

「そうか。頑張ったな。頑張っているんだな」

詩月は胸の内に暖かさを感じ、笑みを浮かべた。

緊張が解けるとは、こういうことかと思った。

焦ってはダメだ、数日に1歩でもいい、指が動かせる、それだけでも今はいい。

腱鞘炎の痛みは半端ない。

痛み止めの薬も気休めみたいなものだ。

思うように弾けない悔しさと痛み、練習時間を制限される歯痒さは、辛さと苦しみを2倍3倍にする。

詩月も経験したことだ。

慰めや励ましは却って負担になるし、大丈夫だというのは無責任だ。

経験した者にしかわからない。

気長に待つと決めたんだ。

詩月は自分自身を納得させた。