女の子が勇気を出す日
自宅のキッチンを朝から独占していた


「みよちゃん、なにか手伝おうか?」


少し離れたところからずっと見ている母は
数分置きに声を掛けてくる


「手出ししないで」


「あ、うん」


手作りチョコを渡すのに誰かに手伝って貰うとかあり得ないでしょ


そうは思うけれど


焼き上がった残念なそれに
三度目の失敗が確定した


「どこがダメなんだろう」


タブレットを操作しながら手順を確認してみても
その説明通りにしか進めていない現実に頭を抱えた


作ろうとしているのは
“簡単ガトーショコラ”のはずなのに
三回も膨らまないとか意味不明


「逆転の発想とか」


またも母が口を挟んでくるから
休憩することにした


「コーヒー飲みたい」


「任せて」


キッチンを開け渡して
リビングのソファに寝転ぶ


待ち合わせをお昼にしたから
次失敗したら終わりになる


「どうぞ」


テーブルに置かれたマグカップに口をつけて
携帯電話で検索を始める


簡単ガトーショコラ。失敗例


逆転の発想はこういうことだと思う


「・・・っ」


案の定、出てきた沢山の情報に
自分の間違いが分かった


「みよちゃん、キッチン直ぐ使えるようにしてるからね
これなら手伝いには入らないでしょ」


「・・・ん」


本当は“ありがとう”って言うだけなのに
それが簡単には口から出せなくて

母との距離は縮まらない


「さて、やりますか」


コーヒーを飲み切って立ち上がると
失敗例を参考にしながら
慎重に手順を進めていく


オーブンに入れたあとは
ずっと見ていようと思ったけれど

自分の支度をすることにした


「あのさ」


「あ、オーブン?大丈夫母さん見てるから
みよちゃんは支度してきて良いよ」


「・・・よろしく」


一から十まで説明せずとも
汲み取ってくれる母の気配りにも


やっぱり“ありがとう”は出てこなかった


シャワーを浴びて支度を済ませると
キッチンは甘い匂いに包まれていた


「みよちゃん食べられないのよね」


片頭痛を受け入れてからは
チョコレートを食べることもなくなった

ごく稀に摘むことはあっても
それはほんと稀だと思う


そうやって徹底的に原因を排除する努力をしているから
あれ以来片頭痛にはなっていない

雨の日の鈍痛に院長が出してくれるのは片頭痛の薬ではないから
あれは別物だと思っている


ピーピー


オーブンが鳴って恐る恐る覗いてみると


「やった」


綺麗に膨らんでいた


「膨らんだ?」


「うん」


「良かったね」


「うん」


自分のことのように喜んでくれた母は
テーブルの上に粗熱を取るための台も出してくれた


「みよちゃん、箱は用意してるの?」


「うん、そこは抜かりない」


「じゃあ、あとは院長が来られるのを待つだけね」


「うん」


おじさんフラグが立ってから
母と喋る機会が増えた


これまでは“喋る”というより
話しかけられて返事をするだけだったから

この変化は奇跡に近いかもしれない


頑なに母を拒んできた頃からすれば
六年も経っているけれど

胸を潰されたような感覚は
今でも鮮明に覚えているから

未だに深い隔たりがあるのは事実

ただ、過去を悔いている母の様子が見て取れるから

忘れることはできないけど
いつか許せたらって思えるようになった