消したい気持ちよ、いろあせて――。

「この世界から消えたい」と手紙に書いた時、
「遠くに行くなよ」って返事をくれた先生。

先生が私よりも先に遠くへ行った。
遠すぎて届かない場所へ――。


何回も同じセリフを練習して、お芝居の動きを確認のために何度も繰り返し……。

ダンスも歌も、発声も。
汗をかく程、沢山練習して。

なんで私は今、こんなに頑張っているんだろう。

もう先生はいないのに。
そもそもなんで私は女優になりたかったの?

先生、私はもう、何も分からないです。
私はこれからどうやって生きていけばいいですか?
何もかも捨てて先生がいる場所へ、今すぐ行きたいです。


先生、どうしたら先生に会えますか?
もう一度、先生に会いたいです。



私は深い海の底へと向かう。



助けて先生――



***


 中学2年生の冬。

 約250人のお客さんが舞台を観られるくらいの小ホール。ここで私の初舞台を終えた。

 舞台の幕が完全に下がると、役者たちがお客さんたちを見送りに行く。私もひとりひとりのお客さんを見送りにロビーへ。今回の役は時代劇の娘役で、今、水色の着物を着ていた。胸を踊らせ、小走りで向かった。

 それから役者が一列に並ぶ。

「ありがとうございました!」

 ひとりひとりにお礼を言いながら私はそわそわしていた。
 理由は、ずっとずっと心の真ん中にいる、先生が来ているはずだから。

 最後のお客さんが会館から出ていく。
 先生は、いなかった。

 チケットを先生の家に送ったけれど。
『最終日に観に行きます』って返事もくれたけれど。

 用事で来られなかったのかな?
 きっとそうだよね?

 何度も何度も心の中で繰り返した。

『きっと先生は用事があったから、来られなかったのは仕方がないんだって』

 でも本当に来ていないのかなって諦めきれなくて、外に出て辺りを見渡してみた。

 ふわり静かな雪が降っている。
 身体が空気の冷たさでぶるっと震えた。

「雪野若菜、さん?」

 震えていると、同じくらいの年齢の男の子が突然話しかけてきた。

「う、うん。そうだけど……」
「そっか……もしかして今、誰か探してた?」
「うん」
「……兄貴、いや、朝倉陽一は今日、来ない」
 そういいながら彼はじっと私の目を見つめてきた。
「なんで?」
「もう、来られないんだ。この世にはいないから」

 彼はうつむいた。

「……えっ?」

 予想外すぎる言葉に胸がぎゅっと押しつぶされた。

 だって、小学校を卒業してからも、つい最近まで……ずっと手紙のやりとりしてたよね?
 会えなかったけれど、私のことをずっと応援してくれてたよね?

 いっきにずしんと心が重たくなった。

 「この世にはいない」って――少し経つと、言葉は冷たい風と共に私の横を通り過ぎていった。だって、信じられなすぎて、嘘だって思ったから。

 いないわけないよね?
 なんでこの男の子は、そんなくだらない冗談言うの?

 ***

 朝倉陽一先生は、小学6年生の時に私の担任だった先生。
 私の心に唯一寄り添ってくれた先生。

 当時を鮮明に思い出した。

 先生は、普段から話すのが苦手で声を出すのすらおびえていた私を気にかけてくれていた。
 
「雪野は、何かやりたいこととか、夢とか、ないのか?」
「私、自分じゃない人になりたくて、女優さんになりたいんです。無理だろうけど……」

 優しい先生の雰囲気のお陰で、自分の気持ちを伝えることができた。親にも言っていない、初めて誰かに打ち明けた夢。
 私は、自分の気持ちを人に言うのが本当に苦手で、ずっと気持ちを誰にも見えないように、閉じ込めて生きてきた。なんでこの時こんなにすらっとその言葉を先生に言えたのか、思い返してみると不思議だったな。

「先生は、応援しているからな、その夢」

 この時に先生が言ってくれたその言葉の形、色、大きさ。そしてその言葉をくれた時の先生のいっぱいな笑顔。

 すみずみまで覚えている。

 そしてずっと、その言葉は私の心の真ん中に、キラキラした姿で住んでいる。

 先生に私の心の内を打ちあけて、良かったなって思ってる。
 優しく背中をとんと押してくれたようだった。

 とは言っても、他のことは上手く伝えられなかったから、先生の提案で、先生と文通を始めた。
 暖かい前向きな言葉を沢山くれて、もしかしたら女優になるって遠い夢も叶うかもしれないなって思えるようになってきた。

 それから時が経ち、中学2年生の時。部屋の引き出しの奥に隠してあった一枚の紙を出した。

『舞台オーディションのお知らせ』

 地元で開催される、応募締切前だったそのオーディション。
 私はやりとりしている先生との手紙に勇気をもらい、お母さんにオーディションの紙を見せ、応募する許可をもらった。そしてドキドキしながら応募してみた。

 歌と演技の審査があって、初めてやったことだけど、先生の言葉ひとつひとつを思い出しながら全力でやった。

 無事に合格して、それから私はお芝居のレッスンを始めた。

 苦手なダンスや歌もあって、セリフもなかなか覚えられなくて。

 でも、先生とやりとりしていた手紙のお陰で頑張れた。舞台に関することなら声を出すのも怖くなくなった。

舞台に出て、先生に自分が輝いているところを観てもらいたいって思って、沢山頑張れた。

 なのに――。

***

「いつ? どうして? いきなり、この世からいなくなったなんて、そんなことを言われてもわけが分からないよ」

 この男の子の妄想話だ。妄想だと思いたい。だけど現実な気もしてきて。心の中は今、ふるえている。

「半年前」
「えっ? でも最近も先生から手紙来てたよ」
「それは……」

「若菜ちゃん、舞台片付けするよ!」

 先輩に呼ばれた。

「あっ、私行かなきゃ」
「じゃ、これ。詳しくは後で――」

 男の子は電話番号が書いてあるメモ紙を渡してきた。
 私は受け取ると、舞台に戻った。

 それから頭の中は、先生のことでいっぱいだった。

『雪野さん、チケットありがとう。当日の観劇、楽しみにしてます。舞台の練習頑張ってね! 上手くいくように願ってるよ。きっと成功するから、自信を持ってね。ちなみに先生は大事なことがある前には絶対成功するから大丈夫!と、魔法を心の中で唱えるよ。言葉にすると近付けるからね』

 先生から最後にもらった手紙の文章はすぐに頭の中に浮かぶぐらいに何回も読んでいた。
 そして本番前には、成功する魔法を何回も、何回も心の中で唱えていた。


――あの手紙は、先生が書いたんじゃなかったの? だとしたら、誰が書いたの?

 
 舞台の全てが終わった後、あの男の子がくれた電話番号のメモ紙を眺めた。

そういえば、先生のことを兄貴って言っていたっけ?

メモ紙には携帯の電話番号と、朝倉奏斗という名前が書いてあった。