屈折する思慕



静人が麻衣と会った日の夜、姉の好美が部屋に入ってきた。

「ああ、静人、どうだった?本郷さんと会ってきたのよね…」

「うん…。あの時のこと、迷惑かけてすまなかったって言ってくれたよ、彼女」

「そう。よかったじゃない(笑)」

「でも、もう会えないって。私のことは忘れてくれってさ」

「…まあ、仕方ないでしょ。あの人はあんたと歳が同じでも、もうすぐ結婚するのよ。それに、彼女と会うのはそういうことでって条件だったし。あんたも承知してたはずよね」

「わかってるさ。はは…、あんな素敵な人、なかなか忘れられないけど、今日は話ができて嬉しかったよ」

姉は再び「よかったわね…」と言って、笑顔を見せながら部屋を出た。

”今日はもう寝よう。急には無理だが、彼女のことは忘れるんだ!”

静人はそう自分に言い聞かせて布団をかぶった。

...


その喫茶店に着いたのは夕方4時過ぎだった。イノシシの運転するバイクの後ろから降りて店に入ると、武次郎は一番奥の席にどっかと座っていた。

「遅くなってすいません…」

「おう、まあ座んな」

武次郎の言葉は二人に向かってであったが、その視線は静人の顔に集中させていた。

「…昨日デートだったんだってな、本郷と。そんで、ヤラしてくれたか、あの女?」

「そんな言い方やめてもらえますか!あの人はもうすぐ人妻になるんです」

「おい、静人、武次郎さんに、その口のきき方はないだろ!」

イノシシは慌てて、珍しく強い口調で喰ってかかった静人を諭したが、静人はそっぽを向いて何も返事をしなかった。

「…中野、お前すっかりあのイカレ女の虜になっちまったようだな。昨日はお前らそばにくっついて話したんだろうからよう、ヤツの匂いも鼻に届いたんじゃねーか。さしずめ、昨夜はそれ思い出してシゴいてイッたか?へへ…」

「あなたにそんなことまで言われる覚えありません!オレ、帰りますんで!」

「おい、静人、ちょっと待てよ‼」

勢いよく席を立った静人は、半腰で静止するイノシシの先輩を振り切り、走って店を後にした…。店内の客も皆気付き、遠目で静人と奥の席を往復させていた。

「アイツ!」

「ほっとけ。今はこれでいい」

タバコを咥えた武次郎は、静人を追いかけようとしていたイノシシを淡々とした口調で制止した。そして、その細めた両目は店を出る静人を追っていた。

...


「すいません…。あの野郎、なんて失礼な態度なんだ。後でよく言って聞かせますから…」

「ふん、予想通りだったわ。お前さ、あのボウズがあんなに取り乱してんの、何故だかわかんねーのか?」

「いや、あのう、本郷麻衣に惚れてるんでしょうけど。あそこまで興奮するとは思ってませんでしたので…」

「…いいか、今から言う話、口外したら殺すからな。そのつもりでしゃきっとして聞けよ!」

「あ、はい!」

イノシシはどすの利いた武次郎の言葉に体をピクッとさせ返事をすると、背筋を伸ばした。

「俺らんとこには、本郷に恨みを持つ連中が複数寄ってきてる。…でな、ここらで何らかの行動に出る空気が醸成されてる」

「それって…、もしや、あの娘を…」

「お仕置きさ!」

武次郎はまずイノシシの言葉を遮り、そのあと薄笑いを浮かべてから再び話を始めた。

...


「…パートナーからの承諾も降りてきてるんだわ。これ、どういうことかは説明不要だろ?」

「じゃあ…、そのお仕置きは、”あちら”の同意も得た行動なんですね?」

「まあ、そうなるが、あくまでお仕置きだ。誤解するな。でもな、相和会は我らのパートナーには手出しできない組み立てだ。報復はパートナーではなく、他にしかできないってことになる」

「…あのう、この前俺は麻衣をヤリたいと言いましたが、報復されるんなら遠慮させてもらいます」

「アホか、お前。相和会が報復するとして、お前なんぞの処分で済ますと思ってんのか?」

「あのう、よくわからないんですが、どういうことでしょうか…」

「小娘のお仕置きとは言っても、あの本郷麻衣はそこいらのケンカ自慢程度じゃ歯がたたねえよ。綿密にワナを仕掛ける。”大人数”でな。お前はその場に潜んでろ。先だっての望みとやらのチャンスだと思えば、覆面でもかぶってヤレばいい。無理なら、見てるだけでも可だ。ただし、口を割ったり裏切ったりすれば、酷い死にざまで肉親を悲しませることになる。もう、お前に後戻りの選択肢はない。だが、逆を言えば口にチャックさえできれるんなら、何もせんでOKってことだ」

「はい。では、静人はどうさせればいいんですか?」

「フフフ…、簡単さ」

イノシシにとっては、いつも見慣れているはずの武次郎の薄笑いだったが、この時はなぜか背筋が凍りつくほど不気味に映っていた。