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「…私は極道もん、それもハンパなく業界からも怖れられてる男と結婚する。言うまでもなく心から愛してるし、彼も私のことをね」

静人は麻衣の直言には、明らかに戸惑っていた。たった今、あんなに優しい気遣いをの言葉をくれた子の同じ口からは、”こんな”言葉も飛び出るのか…。この時点での彼は、驚きの二文字以外受け入れられなかった。

「…あんただって、あの日から私のことはいろいろと耳にしただろうから、だいたいは知ってはずだ。要は、相和会自体の動きにも深く関与してるんだ。実際、もう組の人間だよ、私は。だから、忘れるんだ。いいな?」

「…オレ、そんな簡単に忘れられない。無理だって。…あれ以来、オレの頭と心は本郷麻衣が占領したんだ!やくざの幹部の奥さんになろうが、イカレた凶暴な女だろうが、好きなんだよ。もうメロメロだって…」

静人はすでに肩で息をしながら、瞳孔は開きパニック状態寸前の様子だった。

しかし麻衣は、動揺も同情する素振りも見せず、さらに厳しい言葉を発した。

「人間、簡単に無理とかって言葉は出すもんじゃないって。私のこと好きになんかになってくれても、なんら心は動かない。どんなに苦しくとも、私のことは金輪際忘れろ」

さすがに静人も取り付く島がないことは分かっていた。わかってはいるが、それでも”それ”が無理なんだ…。

”情けない…。なんて弱い人間んだ、このオレは…”

パニックに陥るギリギリのところを抑えているのは、かろうじて自分を認める思考が働いている故だったのだろう。静人は下を向いて、唇を噛み必死に涙を堪えていた。

...


「自分を弱い人間だと認めてるんだな、あんた…」

「キミは人の心が見えるのかよ!」

静人は、俯いたままで弱々しいその言葉を麻衣にぶつけた。

「…弱い自分を認める行為は、強い心がないとできないことだろ。私は物心ついてから、弱い自分を毎日追い出しながら生きてるんだよ。でもさあ、追い払ってもすぐに居座ってるんだ、そいつは。おそらく一生、死ぬまでそいつと向き合うことになるさ。程度の差はあれ、人間は皆そういうものと付き合っていかなきゃ生きてはいけない。頑張れ、静人。…たぶん、ろくでもない連中とは切れてないだろうけど、焦らなくていいから…、今のさ、必死で自分と向き合った気持ちを大事にして、前に踏み出せ」

「やれるだけはやってみる…」

「よし、じゃあ、最後だから写真撮ろう。でも三脚ないからセルフでね」

「…」

麻衣の思わぬ言葉に、静人はあっけにとられていた。

麻衣はバイクからカメラを取り出し、ベンチで静人とぴったり体を密着させてシャッターを切った。それは、右腕を限界まで伸ばしての自己撮りだった。

「写真は自宅に送るわ。うまく撮れてないかもしれないから、あしからずだけど(苦笑)。なら私は行くぞ。優しい言葉もかけられなくて私も辛いが、傷の舐め合いなんかでごまかしたって何の解決にもならない。私はそう念じて生きるてよ。じゃあな…」

麻衣はバイクのエンジンをかけ、その場を去って行ったが、静人の心と頭の中からは立ち去ってくれなかった。ふと目の前の絶景を見渡すと、まだ夕暮れには早いのに、さっき麻衣と話を始めた時には視界に入らなかった”闇”が大きく割り込んでいた…。

”いや、最初から闇はあったさ。闇として見なかっただけさ…”

静人のその心のつぶやきは、なぜか弱々しくはなかった。なぜか…。

...

静人が展望公園で麻衣と会う3日前、武次郎はイノシシをK市郊外の喫茶店に呼び出していた。

「…よし、中野はそのまま会わせてやれ。まずはな」

「武次郎さん、それでいいんっすか?静人はこと、あの女に関しては、そちらの言うとおり協力はしませんよ」

「ああ、わかってる。ふふ…、あのボウズ、相当のお熱なんだろう、あのイカレ娘に?なら、いいさ。その後でよう(薄笑)」

「はあ…」

「麻衣と会った後、そうだな…、その日はそのままにして、翌日だな。俺が話をしよう。お前は余計なことは言わず、ボウズをこの店に連れてこい」

「わかりました…」

「それと、あらかじめ聞いておくが、お前はあの娘に何を望む?体か?」

「ええ、まあ…。あの女は、”あの日”にヤラせるって言ってたんです。それがあの野郎、あんなワナを仕掛けやがって、こっちまでサツに連れて行かれて…。まあ、すぐに出られましたけど。憎たらしい女だ!ぜひ、あの女を犯したいっすよ。でも、武次郎さん、失礼ですけどあの女にそんなことしたら、相和会が黙ってる訳ないでしょう」

「だろうな、ふふ…。まあ、お前の希望は踏まえたってだけだ。いずれにしろ、中野が麻衣と会った後だ」

イノシシは武次郎が何を企んでいるのかはわからなかったが、麻衣の体を奪いたい…、その欲望に再び火がついたことだけは、はっきり自覚していた。