ふたつの心


静人は椎名の言葉を思い返して、とにかく熟考してみた。あの男の語り口はなめらかで、まるでセールスマンの営業トークみたいな説得力も実感としてあった。

一方で、麻衣から贈られた言葉も、もう一度じっくり噛み砕いていた。その結果、前者は人間の本性というか本音、後者はそれを跳ね返す、決して妥協しない強い心と志…。要は自己の行動に対して照射する側面は正対照を成しているとの考えに達した。

では、自分の場合はどうなんだと…。そう自問すれば、麻衣のように自分に厳しく強く生きることはできない。結局、今の自分は弱い心に支配されている。どうしてもそこに行き着いてしまい、むしろ麻衣の言う強さを試したくなってくる。それも、その気持ちはどんどん強くなってきてる…。静人はそんな自分をはっきり自覚していた。

...

「…本当に、この前言った通り、麻衣ちゃんには度を終えた危害は加えないんですね?絶対に」

「ああ…。まあ、アイツのことだから大暴れは必至なんでな。出方によってはそりゃ、こっちサイドも強く出ざるを得ないが、なんといってもやりすぎれば相和会が動くから、こっちから出すの生餌でバーターできる範疇は超えられん。俺たちだってやくざもん報復なんてゴメンだって。当然だろが?」

「…なら、僕は具体的にどうすればればいいんですか?」

「麻衣にもう一度だけ会って欲しいと告げろ。この前の店に押しかけたことの詫びもしたいと…。ニュアンスとしては拝み倒しだ。頼むからもう一度だけとな」

「電話すればいいんですか?」

「そうだ、電話を掛けろ。ヒールズ開店前の時間帯にな。そこで心がけるのは、もう一度だけ会って話をしたい、してほしいという願いと思いを何度も繰り返すんだ。仮に断りの返事が即返ってきた場合には、もう一度よく考えてから連絡してほしいと泣きついて話を終わらせろ。それ、ヤツが折れるまでリピートするんだ」

「わかりました…」

「なら、呼び出す指定場所を今から言う。いいか、埼玉県K市の…」

”よし、まずはこれで一歩進んだ!”

椎名は商談のテーブル1歩手前まで進んだ感触を得た営業マンのように、こぶしを握った。

...


椎名からその報告を受けた大打ノボルは、”出張中”の武次郎と電話で連絡を取っていた。

「…ほう、さすが椎名の”営業マン”ぶりは相変わらずだな。ヤツがそこまで持ってきてるんなら、アポまではいけるんじゃないか。何しろ兄貴が見切ってる麻衣の弱点がある。はは…、麻衣はあの坊主になら誘いを受けると見たぜ」

「フン、そこまでの伏線を踏み重てきたからこそさ。まあ、俺は会っていないが、中野静人ってガキはこっちにとって掘り出しもんだったようだな。格好のキャラクターってとこか(笑)」

「ハハハ…、”逸材”だぜ、ありゃ。とにかくこうとなったら、こっちのタマも段取り固めねえといかんだろうが、兄貴」

「うん。その辺は抜かりなく進めてる。当初よりメンツは増やすことにした」

「ああ、コケる訳にはいかんしな。せっかく極上のステージが整いかけてるんだしよう」

「そういうことだ。お前が帰ったら即、詰めよう。その時にはステージ上のセッティングも進んでいるだろうし」

「了解だ」

「では、また連絡入れる」

大打は腹違いの弟でビジネス上は”片腕”と言える武次郎との電話を切った後、しばらくホワイトボード上の相関図が描かれた模造紙にじっと視線を投げていた。

その相関図は、鹿児島ミカが作成したものと同じく中心には麻衣が陣取っていたが、その”にぎやかさ”の度合いは大打版の方がわずかながら上回っていた。

”麻衣…、もうすぐだ。行くぜ…”

夕方5時半過ぎ…、大打ノボル以外は誰もいない通称サラ金部屋の404号室には、窓からの南風が相関図にカサカサと音を立てながら”息”を吹き込んでいた。

...

その数時間後…。

麻衣の予感は的中した。案の定、静人からヒールズに電話がかかってきたのだ。

「…おい、いい加減にしろって。もう会わないって約束したのに、何やってんだって、お前!この前だって、お客さんがいなかったらバケツで水ぶっかけてたぞ、お前のおめでたいアタマにな!」

麻衣はもう速射砲のように捲し立てていた。

「はあ~~、また会えないかって?テメー、ふざけんなー‼男のくせして女々しいったらねーって!もう切るぞ、二度とももう…、はあ…?今土下座してるって?このヤロー、泣き落としなんかにでてきやがったか…、はあ、はあ…。えっ?あんまり興奮しすぎると、今夜カラオケのデュエットに差し支えるから落ち着けって?バカヤロー!テメーがなあ…」

一方、電話口の向こう側の静人も気合が入っていた。とにかく電話を切られないように、間髪入れずに再会の懇願を連発していたのだ。