窓の外では雪がしとしとと降っている。1月。消毒とこの独特な匂いは病院の、病室の特徴とも言えるもので3ヶ月もいればこれが日常となってしまった。
そう、3ヶ月。3ヶ月も入院しているのだ。何か重い病を患っているわけではなく、事故にあった。そして、僕は記憶を失った。憶えているのは自分の名前と年齢。後は断片的に家族の顔くらいだった。その他は不謹慎な言い方ではあるものの、友達の顔から通っていた高校、勉強していたことまで綺麗さっぱり忘れてしまっていた。それに、実を言うと目覚めたのもつい1週間前のこと。だから、記憶は色とりどりの紅葉の秋から急に銀世界広がる冬。と言う感じだ。
親や友達だという人は目覚めたのを聞きつけたのだろう、雪崩れ込んでくるように変わる変わる、たくさんの人が来てくれた。それはまぁ、やはり悲しい顔をさせてしまったが取り敢えず目覚めて良かったと、口を揃えて言ってくれた。
でも、ただ一人。とても対応に困っている人がいる。それは僕の彼氏だという人。高校の同級生らしく、クラスも同じだと聞いたが例に漏れず記憶にない。だが、そう言っても彼、佐伯 梓 くんは別れようとしなかった。それどころか、「 今 」の僕にも好かれようと頑張るのだと。梓くんはそれから毎日、お見舞いに来てくれている。

今日も こんこん というノックの音と共にやってきた。

「 やっほぉ 、 愛兎 」

間延びした声と共に現れた、彼。初めて見るわけではないというのに毎回、蛍光灯に照らされてきらきらと輝る金髪、気怠そうではあるものの二重で黒目がちのぱっちりとした目。それに身長は180センチはあって『 イケメン 』とか『 美人 』て言葉が似合うその人に見惚れてしまう。おい、『前』の僕よ。こんなイケメンをどこで捕まえてきたんだ…。そう、自問自答せずにはいられない。
因みに彼が初めてきた時に、自分の彼氏と言われた時は自分の顔をテーブルに置いてあった鏡で見ては彼の顔を見るという行為を3回ほど繰り返し、

「 新手の詐欺でしょうか? 」

と、つい言ってしまったほどだった。
だって、あまりにも天と地ほどの差があって、どう見ても釣り合ってないように見えたからだ。しょうがない。
閑話休題。

「 うん、こんにちは。
梓くん、学校お疲れ様。 」

毎回、あの顔から甘いような声と間延びした話し方が出てくるのはギャップがあって律儀にびっくりしてしまう。それでも慣れというのは怖いもので今ではすっかりこの顔にはこの声だよな、この口調だよな。なんて納得している。

「 そそ。 ねぇ、聞いてよぉ。
今日さ、漢字のテストがあってぇ、ぜぇーんぜん解けなかったぁ。 」

梓くんはお見舞いにくると、僕を飽きさせないためか話題が尽きないようにずっと話してくれている。そのお陰で僕も『恋人』という枠の気まずさに囚われず、自然体で話ができている。

「 ねね、愛兎… 」

2人で話して、数十分が経っただろうかという頃。どこか気まずそうに、居心地悪そうに、いや、それよりも断罪される罪人というのもピッタリかもしれない。そのようなどこかこの先の話題が良くないものを思わせるその態度にこちらもつい、構えては彼の口が再び動き出す。

「愛兎はさ、今は俺と付き合ったままになってるけど、それでいいの?」

来た。これまで流れてきたようで、ずっと目の前にあった、一番重要であろう、話題。なんとなく、2人とも切り出してはダメだというような空気が流れていたのだがいつかは話し合わないといけないと分かっていた。そのタイミングがついにきたのだ。

「俺はさ、勿論、別れたくない。けど、愛兎は記憶をなくして、急に俺に彼氏だって言われて、そんなの普通なら気持ち悪いじゃん。だから、無理しなくてもいいからね。」

ああ、胸が痛い。彼は優しいから僕のことを目一杯に考えてくれている。なのに、僕はそれに100%答えてあげられない。それでも、きっと_

「無理かぁ。無理はしてないよ。僕が付き合いたくて付き合ってる。でも、好きかと言われると分からなくてそれでも、きっと


離してあげられない。



そう。今は恋愛感情なんかなくて、寧ろ友達みたいな感覚だ。だけど、体は梓くんの匂いや声や髪の撫でた時の感触とかを憶えているのか全身が離すなと言っている。きっと、離したら後悔するのだ。いつか、「今」の僕と「前」の僕が重なり合って一つに、つまり記憶が戻った時に。

「ねぇ?僕はこんな感じだけど、梓くんは僕でいいの?」

今度は僕が罪人側だ。でも、断罪されるのを待ったりはしない。だって、梓くんは僕の申し出を断ったりしない。根拠も理屈も何もないがそれが当然としてそこにあるように自信はあった。だから、彼の答えも予想通りで

「うん。それでいいよぉ。愛兎が俺のものなら。」

蜂蜜を溶かしたような恍惚とした瞳、そのうっとりしたようなそれについ、ぞくっと背中に何かが走る。ああ、これだ。この自分を求めてくれているような、互いに互いでなければならない。そう、絶対に離れないし、離れられない。もう、この域までくればこれは最早、『呪い』なのだ。記憶はなくとも、愛していなくとも、多分、きっと、









離してあげられない