現実を拒絶するように涙が滲んで、声が震える。
「何で言ってくれなかったの……? こんなことって……」
「ごめんな。……でも、言っても余計な心配かけるだけだろ」
蓮は儚く笑う。
その笑顔にさらに胸が痛んだ。
小春の記憶が眠るたびリセットされることが、いまばかりはかえってよかったかもしれない、と蓮は思う。
“伝えたいことがある”と告げたことを、忘れてくれた。
────自分にとっては、もう終わりの瞬間。
けれど、小春にはまだするべきことが残っている。
戦いはまだ終わらない。
たとえば自分のエゴのために思いの丈を伝えても困らせるだけだ。
だったら、ぜんぶ、自分の中に閉じ込めて持っていこう。
小春が12月4日を超え、それから何年も何十年も経って髪が白くなってから、天国だかあの世だかで再会したそのときなら、伝えても許されるだろうか。
「ありがとな」
蓮は弱々しくも、いつも通り笑った。
大きな意味でも、小さな意味でも、その言葉が一番ふさわしい。
ありがとう、出会ってくれて。
この気持ちを教えてくれて。
一緒にいてくれて。
信じてくれて。
ともに戦ってくれて。
「……っ」
顔を歪めた小春の瞳から涙があふれる。
思わず彼の腕を掴んだ。……いかないで、待って。
喉が詰まって言葉が出ない。
蓮も震える手で小春の手を掴む。
入らない力を精一杯込めて、ぎゅっと握った。
「絶対、諦めるな。何があっても……小春なら────」
ずる、と蓮の腕が垂れて、はっと顔を上げる。
ゆらゆらと滲む視界の中、彼は固く目を閉じていた。
「蓮……!」
小春は咽び泣いた。
“ありがとう”はこちらの台詞だ。
蓮には、どれだけそう伝えても足りない。
最初から最後まで、ずっと守ってくれていた。
蓮がいなければ、恐らくもうとっくの前に死んでいたことだろう。
果てしない喪失感に苛まれる。
信じられない。
彼がもう、この世にいないなんて。
「……蓮」
唇の隙間から勝手に言葉がこぼれる。
何を言おうとしているのか、自分でも分からない。
だけど、本当はとっくに気がついていた。
無償の優しさをくれた、ずっとそばにいてくれた、蓮の想い。
そして何より、自分の気持ち。
「わたしは────」
その瞬間、ピシッと何かが割れる音がした。
はっとして周囲を見回すと、窓にヒビが入っていた。
もとい、空間にヒビが入っていた。
まるでガラスのように、この奇妙な世界が砕けて壊れていく。
破片となって崩れ落ち、底知れない奈落に飲まれていく。
足場が割れて、奏汰や祈祷師の亡骸が落下していった。
そのうちに床も崩れ、蓮ともども暗闇に投げ出される。
浮遊感に包まれながら懸命に手を伸ばすも、届かない。
「……っ」
────これから、どうなってしまうのだろう。
ふいにとてつもない孤独感と不安がのしかかってきた。
もう、誰もいない。ひとりぼっちだ。
みんな、死んだ。
崩れる世界の破片とともに、小春は深淵の闇の中をただただ落ちていった。
◇
目を覚ますと、玉座に腰を下ろしていた。
鏡面のような水の上にぽつんと佇んでいる。
あたりに広がるのは、最初に目にしたのと同じ幻想的な光景。
現実世界を模していない、まっさらな天界。
「目覚めたか」
そっと身体を起こすと、聞き慣れない低い声がした。



