低く呻いた彼がたたらを踏み、ずるりと樹枝が抜ける。
泡立つほど大量の血があふれるも、律は膝を折る寸前で顳顬に触れた。
「桐生……!」
身を裂くような苦痛を、気力でどうにかねじ伏せる。
『動くな』
ふいに、冬真の頭の中で大雅の声が響いた。
突然のことに圧倒されているうち、振り向いた律の手が伸びてくる。
「……!」
呆然としかけて、慌てて樹枝を握り直したとき、頬すれすれのところを何かがよぎった。
はっと顔を上げるともう一発、撃ち込まれた水弾が掠めていく。
(ヨル……!?)
彼が自分に牙を剥くはずはない。丁寧に飼い慣らしてきたのだ。
まさか、大雅に操られているとでも言うのだろうか。
動揺を禁じ得ない冬真の頭に、震える律の手が届いた。
爪を立てるような形で強引に押さえ込む。
「……さよなら、如月」
────冬真の身体から力が抜けた。
一瞬、苦しげに顔を歪めると、ふっと目を閉じてその場に倒れる。
きっと、深層に及ぶ大規模な記憶の改竄を行ったせいで一旦気を失ったのだろう。
傀儡の遺体も糸が切れたように崩れ落ちた。
次に目覚めたときは、残忍な野望も利己的な本性もすべて忘却しているはずだ。
「…………」
ぽた、ぽた、と、足元の血溜まりが深くなっていく。
かろうじて続けていた荒い呼吸に血が絡み、ふいに喀血した。
樹枝が背中に刺さったとき、肺が破れてしまったのだろう。
全身に力が入らなくなった律は地面に膝をついた。
広がる血溜まりの飛沫が跳ねる。
「……これで、いい……」
“やるべきこと”は果たした。
あとは、信じるだけだ。
────高架下にたどり着く前に、耐えきれなくなった大雅は蹲る。
目眩を覚えて倒れ込んだ。
出血と反動で、身体はとうに限界を超えていた。
「く、そ……っ」
頭の中から律の意識が消え、その命が尽きたことを悟る。
浅く荒い呼吸を繰り返し、思わず咳き込むと血があふれた。
内側から槌で殴打され続けているような頭。
捻り潰されているかのような肺。
拍動に合わせて爆発するかのような心臓。
耐えがたい苦痛が命を削っていく中、仰向けになって天を睨めつける。
「見てるか……。天界の、クソ野郎ども……」
途切れ途切れの声は、それでもしっかりと空気を揺らした。
「……これが、俺たちの勝ち方だ」
大雅は不敵に笑う。
心残りはあるけれど、後悔はない。
力を抜いて、目を閉じた。
ひと足先にゲームクリアと行こう────。
◇
瑚太郎は震える手で頭を抱える。
その内側ではヨルと瑚太郎がせめぎ合っていた。
大雅のお陰で、一時的に瑚太郎の人格が浮上できたのだろう。
けれど、それもいつまで持つか分からない。
「…………」
何度も考えた。何度も模索した。
ヨルを追い出し、自分を完全に取り戻す方法を。
しかし、想定以上にヨルはしたたかだった。
彼の存在は根深く、瑚太郎には敵わないことを散々思い知らされた。
もう、次はないかもしれない。
ここでヨルに押し負けたら、もう二度と出てこられないかもしれない。
そして、それは想定しうる最悪のパターンだ。
ヨルによる完全な乗っ取りを意味する。
それを防げるのは、ヨルを封じ込められるのは、恐らくいましかない。



